リツエアクベバ

satomies’s diary

実家詣

車で実家に行った。わたしの母がうちの息子に会うのが久しぶりだと喜んだ。と言っても、正月と5月の連休と行っているのだけれど。

マメに惣菜を作る母だが、去年くらいからそのあたりが面倒になってきたところがあるらしく。車で行く時は作り置きできるおかずを持っていく。今日は糠漬けと、ズッキーニとエリンギの炒め煮を持って行った。

先日、延長コードで傷んでいたものがあったので取り替えた。そのときにトラッキング防止用の電源タップを買った。ああ、ひとり暮らしでこんなに健康に長生きして、トラッキングの火災で死んだらもったいないんだよなと思って。今回はトラッキング防止用のコンセント安全カバーを買っていき、あちこちの、特に家具の裏になるようなコンセントに付けた。

運転する夫にヴェリタスブロイを飲ませて、わたしと息子と母でビールを飲む。寿司を食べ、母はなんだかんだとよく話す。

母が、死んだ時に着せてもらうものを、前は着物をと思ったが洋服にしたのだと言う。うちは浄土真宗なので、荼毘に伏すときに好きなものを着られる。

いや、あのさ。と、わたしが言う。悪いけど両方わかるようにしといてよ。望み通りにはできないかもしれない。

年をとって、子どもに頼りたい、ひとりでいたくない。そんな年寄りはたくさんいる。母は違う。自分のテリトリーで、干渉されずに自分の世界を守りたい。子どもに頼るのではなく、「対等な契約」でサービスを利用したい。そんな話を繰り返すので、それではと「死ぬまでひとりで暮らす」的な本をふたりで読んだ。

「死ぬまでひとりで暮らす」。これは、死後の発見が遅れることに、そんなことはあるだろうという覚悟の上で選ぶことだと。そしてそうした自立と自由を母が選ぶのならば、わたしは死後数日経ってから発見しても、それはそういうことだと後悔はしないよと。
まあ、それなりに弱ってきたら、室内カメラはつけるかもだけれど。それは「尊厳をもてる」やり方でつけるからねと。

そんな前提の話がある。

母が、死んだ時に着せてもらうものを、前は着物をと思ったが洋服にしたのだと言う。
両方出しといてよ、発見が遅くなってガチガチに死後硬直していたら、そこから洋服なんて着せられないでしょう。着物だったら上からかけられるから。

そうじゃなかったらさ。これは危ないかもしれない、ってときに。その「死んだ時に着せてほしい服」を自分で着てよ。そうしたら死後に着せるとかしなくていいから。

そうやって、そのうちくる「いつか」の話をする。よほどの事故がない限り、たぶんまだかなり先なくらいにふつうに元気。89歳。