リツエアクベバ

satomies’s diary

4月13日

2021年の4月13日は、覚悟を決めた日だった。

通り過ぎた日々は、夫へのLINEでいちばんよくわかる。医師が「ご主人と話したい」と言ったのは12日、ネーザルハイフローに入る前だ。ネーザルハイフローに入るということだけで、ふつうの患者ではなかったということなんだなと今は思う。

スタッフにとって初めて使う機器で、とにかく扱い方にてんやわんやしていた。バタバタと、とにかく何度も人が来ていろいろ調整していた。それをぼんやりと眺めていたのだが。機器もそうだが、わたしの体も思ったほどの効果がすぐには出なかったということなんだなと思う。

人工呼吸器治療に入るために、本人の意思確認を取りたい。というための「想定の範囲内だから」という説明だったのだと思う。家族の確認だけで突入する場合が大半だろう中で、話してもらえたのはありがたいと思う。

わたしの発症時は、まだ日々の感染者数はたいしたことはなかった。今日の横浜市の新規感染者数は1701名。わたしが発症した頃は40かそこらだった。横浜市全体で。
従来株が大半で、イギリス株と当初呼ばれたアルファ株が少し増えてきたくらいで。そのアルファ株が従来株より感染力が強く、重症度が高いと。そんなことはおおまかには知っていた。その中で、ものの見事にアルファ株をどなたかからいただいたのだった。

入院中に、第五波が始まった。そこからデルタ株の猛威が始まる。日々、悪化する人の報道があり。実際に人工呼吸器治療を受けた人の状態を目の当たりにする。回復後から日常復帰までにかなり時間がかかる。そのことを知ると改めて、ネーザルハイフロー治療で回復したことをありがたいと思う。

夫へのLINEで当時のことがよくわかるのだが。覚悟を決めてから、様々なことに着手した。娘が通う事業所に「なんか死ぬかもだから、早急にグループホームの手配に着手してくれ」とメールを入れた。

娘のためにがんばれとか、同様の立ち場で「障害のある子どものことを考えると、死ぬわけにはいかない」とか。そうした思考や感覚はあるのだろうが、わたしにはそれは無かった。娘には福祉的支援がついているし、それは娘の権利であり。そしてそれを当然のこととフォローする事業所がついている。と思っていた。また、娘は賢い。わたしがもしも死んだら、それを彼女なりに受け止めて、あの子はまた歩き出す。娘は知的な障害はあるが、そもそもそういう人間だと思う。必ず立ち上がって、歩き出す。そう思っていた。

コロナ新療法『ネーザルハイフロー』現場の医師解説(2021年8月11日) - YouTube

生死の狭間さまよった…人工呼吸器から生還の患者語る医療への感謝【Nスタ】 - YouTube

https://www.jsicm.org/news/upload/COVID-19-ECMOnet-report_20200310.pdf