リツエアクベバ

satomies’s diary

再び病院

今日、5月21日。わたしと娘、退院四週間後の再診。

入院した病院は自宅から10キロもいかない場所にある。慣れたルートを使う立地。慣れたルートなのに退院時、自分がいつ、ここまで自分の力で来られるのか。それが全く見えなかった。四週間後にここまでわたしは運転できるのだろうかと思っていたなと。そんなことを思いながら運転。

車を駐車場に停める。駐車場と正面玄関の間に救急外来があった。

あの日、ウイルスをもったわたしを乗せた車は、裏口みたいなルートで病院に入っていった。あのとき入って通った場所は職員の駐車場だったのかな。そしてむこうの方からこの救急外来の扉を開けたのかな、などと思う。朦朧としていたのでよく覚えていない。

救急外来のすぐそばに、プレハブがたくさん立っていて「発熱外来」と看板が出ていた。

呼吸器内科、娘の主治医は金曜の午前に外来。11時の予約。
診察前にレントゲン検査。診察時に入院時のレントゲン写真とCT画像を見る。

肺のここのこの部分がダメージ。レントゲンでは見えないけれど、CTでわかる心臓の後ろあたりにもダメージ。
今日のレントゲンはきれい。心配いらないです、とのこと。

わたし

呼吸器内科、わたしの主治医は金曜の午後に外来。13時の予約。
診察前の採血とレントゲンを済ませて12時15分くらいだったので、病院内のカフェコーナーで昼食。

13時からの診察。今日のレントゲン、4月12日のレントゲン、4月10日のレントゲン、と、時間軸の反対から画像を見る。
「今日の写真、きれいです。完全とは言いませんが、順調に回復しています。問題ありません」。

「一番ひどかった日の写真はこれです」。

うわっ!と思わず声が出た。午前中に見た娘の写真の比じゃなかった。

「入院した日の写真はこれです」。

写真は肺炎を示していたが、それでも一番ひどい写真よりまだずっとましだった。たった二日間で、酸素を投与して、コロナ治療薬の点滴をして、コロナ治療薬を飲んで。その上で、たった二日間でここまでひどくなったのか。と、呆然とした。

入院後も、わたしの肺はどんどん悪化しているそうです。改善はしていない。今起きる症状に対処をしている状態。処方されるコロナのための飲み薬、コロナの為の点滴薬の効果は起きていないそうです。

このままいくと、数日以内にわたしは人工呼吸器設置の重症者になります。
人工呼吸器を起動し、わたしは昏睡に入ります。

そして、体がコロナに勝つのを待ちます。
勝って目が覚めれば生還で、負ければ死亡です。

あの日の医師の説明、わたしの理解、わたしからの他者への説明。
それが一枚のレントゲン写真に凝縮されているように思った。

「この時点で、『回復の開始のタイミングが遅れている』ととることもできた。結局そういうことだったかと思う。しかしもしそれが違っていたら、もっと状態が悪くもっと苦しんでいる状態でお話ししなければならないことになる。早いタイミングで『この先の治療計画』について話す方がいいと思った」。

ああなるほどなあと聞きながら。では、と質問する。

「入院がこの写真で、治療開始してるのにこの状態で。では、入院のタイミングがもしも数日遅れていたら?」

「危なかったでしょうね」と、医師が即答した。ああ。わたしは、いくつもの運が流れる急流を渡り切ったような思いがした。なぜわたしが、どこでわたしは、ウイルスを体に入れたのか。
その巡り合わせと同じくらい、わたしは生還の流れにのれたのかもしれない。

たくさん歩くと息が苦しい。前と同じ速さで歩けない。プールで泳ぎ過ぎた時のよう。硬くてうまくふくらまない風船のような感じ。

そんな「今」を医師に伝えると、「その感覚は正しいと思う」と医師が答える。レントゲンには映らなくても、傷んだ肺の傷はある。その「肺の感覚」は、これから数ヶ月かかって元に戻っていく。何をしたらいいとかそういうことではない。と医師が答える。

そうしたことを話しながら、わたしはお礼を言って別れの挨拶をする。
「握手してもいいですか?」
そう聞くと、「やっとできますね」と医師が答える。「お元気そうな姿でお会いできてよかったです」。そう話す若い女医の白くて小さい手を握って、診察室を出る。

事務手続きを済ませて、さあ帰ろうと娘に言って。それから「ちょっと待って」と娘をシートに座らせる。
あの日、退院の日。わたしはエレベーターに乗って、この正面玄関にやってきた。あのエレベーターはどこだろうと思った。

あの日乗ったエレベーターの場所に行くと、病院内の見取り図があった。
そこに、コロナ病棟がアルファベットと数字がついた名前で表示されている場所があった。
その病棟の同じフロアに、ICUがあった。わたしはそこに移動していたかもしれないのだなあと、また思った。

待たせていた娘のところに行って「さあ帰ろう」と。
これでひと区切りだなと思う。