リツエアクベバ

satomies’s diary

文化とか習慣とかとしての「仏教」

娘二人だったわたしの生家。父の郷里にあるお墓について、墓を東京に移すことにした。跡取りがいなくてもいい合同墓。檀家になっている寺とも話した。母が90になる前に、というまだ少し先の話。

母が死んで実家を片付けたら、仏壇や位牌はどうするのか。そんなことを時々母と話す。ネットでもいろいろ調べる。

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しかしさ。仏壇とか位牌とか仏様がどうのとか。これって文化的刷り込みもあるものだよね。ごく一般的な普通の小市民にとって、宗教的なものというより家が伝える文化的な刷り込み。
その刷り込みが濃い家庭と薄い家庭があるんだろうなと思う。

わたしは都会の核家族で、父の実家に誰もいなくなってから家に仏壇がきたから、わたし自身にとって仏壇に対しての刷り込みは薄い。
夫の家は「代々」ワードが多い、いわゆる旧家。しなくてはいけないことが多く、お盆の迎え火送り火は絶対的家庭行事。
息子はつい数年前までどこのうちも迎え火送り火絶対と思っていたので「ないない」と言った。○○くんちだって××くんちだって玄関先で火なんか焚かない。わたしだって結婚するまでテレビでしか知らなかったし。
まあ母親がそんなだから、息子に対しての刷り込みも中途半端だ。
うちは長男家庭ではあるが、実家の仏壇は未婚の義妹がきちんと守る。旧家の娘としての文化的刷り込みは夫より確実に備わっている。
夫は文化的刷り込みがうまく入っていずそこそこテキトーなので、父親がそんなだから、息子に対しての刷り込みはさらに中途半端だ。

結婚して三十余年。結婚した頃に比べて葬儀も墓事情もかなり様変わりした。家族葬は増え、「知人の葬儀に行く」こと自体が稀になった。わたしが母の年になる頃には更に変化していくんだろう。
息子は息子で自由に考えればいいと思う。そもそもみな、千の風になっていく。