リツエアクベバ

satomies’s diary

傘の壊し方

台風きてますね、朝から雨が激しい。
さて。「男の子は傘を壊す」という話、息子という家族をもってみて非常にびっくりしました。まー、壊れる壊す壊す壊れる。もたない。一本でいったいどのくらいもつんだ?という感じ。雨の日数回、でしたかってくらい。丈夫そうな高い傘を買っても実質耐久時間はほぼ同じ。しまいには同じような傘をいっぺんに何本もまとめ買いをしたりもした。
「男の子は傘を壊す」。男の子をもつ母親はみな「そうそう!」と思いっきり同意しますし、元男の子の殿方はなんだかうれしそうに「そういうもんだ」と言う。ただね、「それは当たり前の事実だ」以上にわたしは「どうやって壊すのか」ということにとてもとても興味があった。
いや、だって。なんかかわいそうだったんだもの。息子は「壊した」とは言わなかった。「壊れた」と言った。「なんで?」と聞くと「わからない」と言う。悲しそうな顔で「普通に使ってた」と言う。振り回したとかおチョコにして遊んでたとかって時にはそれ言うんですよね。だから「壊れた」って言うときのそれがとても嘘とは思えない。なんかスポーツブランドがついたちょっと高めの傘を「これが欲しい」って言った時に、「アンタすぐ壊すからこんな高いのヤだ」って言ったら「お願い、大事に使うから。もう壊さないから」って。ふうん、これで壊さないなら高くても元取れると思って買った。でも壊れた。すぐ壊れた。息子は骨が折れた傘を見せてすごく悲しそうだった。「壊れた」って言った。「振り回したりしてない、普通に使ってた」って言った。確かに大事にしてたし「普通に使ってた」が嘘とか誤魔化しとかとはとても思えず、「よしわかった」って言った。開き直ってそれから傘を壊してもなんか言うのを全部やめた。そうかと言って、何も言わずに何本も何本も買った。
雨が降っていたある日のこと。わたしは車に乗ってた。ニュースになるほどの強風でもないが、そこそこ風はある雨の日だった。下校時間で傘をさした小学生が歩いてた。何人か男の子がいた。車が停止する箇所で、ふと、その男の子たちの姿が目に入った。そこでちょっと風が吹いた。その風に向かって「ある動き」をした男の子が二人いた。ほんの一瞬でその二人の男の子の傘が壊れた。一箇所骨が折れたんだ、わたしの目の前で。その「ある動き」をしなかった他の子どもの傘の骨は折れなかった。彼らは骨が折れた傘を見たけれど、自分たちの動きの違いには全く気づいてはいなかった。
あああああ、なるほどおおおおお。と思った。あの骨が折れてしまった傘の持ち主の男の子たちは母親に言われるんだろう、「また壊したの!」って。で、あの男の子たちは言うんだろうか、「壊れた」って。「壊したんじゃない、壊れたんだ」って。ああそうか、そうなのか。走って行ってあの男の子たちにかわって言ってやりたくなった。「あのね、壊してないよ、壊れたんだよ」。
そのヒミツはね、さし方にあったのよ。うち帰って思わず家の中で傘さしてやってみた。なるほどー、なるほどなるほど。あのね、傘さして持ってるじゃない?そこに風が吹くじゃない?その時ね、すごい無意識って感じでわたしは、っていうか、多分女の子と大人はね、適度に風に負けるのよ。風の流れに手首が揺れて、それで風を「流す」んだな。風の勢いが「流れる」というか。
その時見た「傘が壊れた男の子」はさ、風に対抗したんだよ。あれも多分無意識なんだろうね。風が吹いたらその風の強さに向かって「強気で傘を支える」っていうの?風の方向にぐぐっと傘を向けたんだよね。ぐぐっと、って感じが離れたところでわかりやすかった子が二人いた。そしたらその子たちの傘の骨がポキンと折れたんだ。あーれーは壊してない、って言うよね、壊れたって言うよね。だって、わたしも傘のさし方って息子に教えた覚えがないもの。ただ広げて持てって、それでいいものかと思ってた。
これ、口だけで言っても文字だけで書いてもわかりにくいでしょう?ネット上にはね、時々英雄がいるものですが、この件についてもいらっしゃいましたよ、すばらしい方が。この状態を実にわかりやすく図解して説明してくださってる方がいるわけです。

風が強くてもおちょこにならない傘の差し方/わかってるブログ

わたしが言ってるのは、↑の二番目の図解のことです。「この二番目で出てくる傘の扱い方が、男の子の成長期の一時期の心の動きとその行動の出方に関係してくる。だから傘がよく壊れる」のだと思います。
この現象、発見した時には息子はけっこう大きくなっていましたが、家の中で傘振り回して発見を教えたよ。あと謝った。過去何度もわたしアンタに「壊した」って言ったよねって。わからなかった、ゴメンねって。なんでもないように「いや、いいよ」とかなんでもないように言いながら、アイツ実はちょっとドヤ顔してました。