リツエアクベバ

satomies’s diary

日々が過ぎていく記録

ああ、あの頃あんなことがあった時どんな風に思ったんだっけ。そんな時にweb上に記載した自分の文章のどこかになにかしらの片鱗がある。けっこう長いこと、そんな記録をしたためてきたのだけれど。その頻度がゆっくりと落ちて、けっこう長く期間をあけていたという最近。
ぶっちゃけ言うと、辛かったんです。いや、web上でもう何年も前から親しくしてた人間が、なんか体調ヤバいことになってんじゃないか…、ってなことがありまして。薄々、ヤバいだろうヤバいだろうとは思っていて怖かった。結局のとこ、アイツはどうやら死んだらしい。そうか、と思う。ご家族はさぞお辛かろう。
さて、パソコン開くか。
そこで発見するんですよ。自分、ヤバい。次から次へとアイツの思い出ばかり浮かんでくる。笑っちゃうようなことばかり。その笑っちゃうようなことばかり思い出しながら、愕然とする現実との落差が激しい。どうにも、どうしようもなくなってしまいました。なにかこう、感情のカタマリを吐きそうになる。ただ、そこに入り込みたくないというか。なんかご家族に失礼みたいな感覚もあった。いや、いろいろ感じることからわたしは逃げた。
そうやってほったらかしているさなか、実生活において父が死にまして。ばたばたと動きながらいろんなこと、いろんな思いがあった。そういや姑が亡くなった時にいろいろこぼれる思いを書き残したりしたなあと思う。しかし、父が死んで、書けない。っていうか、父のことに関しては「ちょっと料理しなきゃ」書けない。モラっ気強い父ですからね、そりゃいろいろ思いは複雑ですよ。そんなに簡単なことじゃない。あの種の人間を知らん人にわかった顔をされたくないし、そういうようなことを書き残したいわけじゃない。
そこをふうわり距離感つけて「ちょこっと料理して」書き残したってことは何度もやった。父の悪口だの愚痴だのを言いたいわけではなくて、そうした「環境」の中で「自分が何を思いどう考え、どういう価値観をもっていくか」ということにわたしは興味があるのであって。そういう書き残し方をやったことは何度もあった。ただ、そういう時にそれはそれなりに「父」を出すわけで。そのことに自分自身は複雑な思いをもっていたり。
そういう時にさ、アイツはね、そういう文章の中から「え?こっち?」っていうようなとこを拾いだして反応をしたりしたんだ。そういうのが、ん?わはははは、的に楽しくて。そしてそうやってツッコミにくい内容の文書を「おい、読んだぜ」みたいな感覚をくれて、「うす、さんくす」みたいな感じになる。それがね、すごく気楽に心地よかった。ほら結局思い出に戻る。
その、結局思い出に戻る、ってことに、わたし少し強くなった。そうだよ、思い出に戻るね。そこにアンタはいたよね、今はいないのか。それはスーパー悲しいよ。でも進むね、わたしは。というところにたどりついた。
別にそこにたどりついたからまた更新しましょうとかって、そんな出来すぎの話でもなくて。いや、アイツとはまた別のweb上仲良しさんが現在闘病中で。その人物がさ、ネット開くのもヤバそうな体調の中で「更新せんのかい?」とわたしに言った。「んじゃ、するわ」。それがきっかけ。ありがとう、歩き出したらつかえてた悲しみも別の形で動き出した。つーか、アナタもまた、長くもたずに行かなきゃならん順番もたされてんのかい。もう少しこらえてくれい。ここは飛び越えてくれい、とは思うけれど、それは神さまという種のカテゴリー側が決めることなんだろう。とりあえずオイラはまた、自分の日々をこつこつ記録するわ。
そうそう、父からね、二度ほど電話かかってきたよ。発信されないはずの状態の携帯から二度もね。携帯手元にない状態でコールがんがんなってて、はいはい出ます出ますよと携帯手にとって液晶画面見て「はい?」と思ったら切れた。二度目なんて早朝だったんだけどすぐに取れる位置に携帯あったら、まあ、絶対取れないようなコールの仕方でワン切りですよ。まあなんかの偶然とかなんかのまちがいとかってことかもしれないですけど、その時(これがとーちゃんコールなら、とーちゃんは多分今こう思ってるだろう)的なとこで解釈するという感じになってる。はいはい了解了解、という感じ。生きてる時のモラパワーよりヤワなのでコミュニケートが前よりラクです。