リツエアクベバ

satomies’s diary

知的障害者と選挙

娘は今年19歳になる。二十歳になれば娘にも参政権が与えられる。「参政権」、これは「参加」する権利。そして選挙での投票。二十歳になれば娘にも「投票のご案内」が来る、娘の名前が書かれた紙で。選挙に行かないで棄権することもできるけれど、行って白紙票のような「無効票」を投じる権利はあるんだろうか、あると認めてもらえるんだろうか。それが「参政権」の「参」で本当に保障されているんだろうか。
そして実際に娘の投票日の行動を決める「義務」は保護者に渡される。

親の葛藤

知的障害をもった娘の選挙権について/Yahoo!知恵袋
娘を連れていっしょに行くことも、娘を置いて私たち両親だけが行くことも納得がいかず、親である私たちまでずっと棄権をしております。

決めきれない後ろめたさで自分たちも棄権。わっかるなあと思う。なんつーか、こう、「置いていく」のがねえ、どこか納得いかないんだなあ。自分たちが棄権を選ぶ予測は無いんだけど、特に夫は棄権しないと思うけれど。でもわたしは「置いていく」選択をしたら、多分すっごく後ろめたいだろうなあ。わたしが娘の「参政権の事実上の剥奪者」になると思うので。

知的障害者に投票が可能か?

村田拓司「知的障害のある人に対する参政権の保障」 から抜粋。

  • 憲法の保障する参政権は,知的障害のある人にも当然に保障されなければならないと言えます。
  • 知的障害のある人の選挙参加の促進に向けた取り組み事例

東京都国立市にある知的障害者施設,滝乃川学園では,1974(昭和49)年より学園生の選挙参加を支援する取り組みを進めています。例えば,2003(平成15)年4月の国立市議選では,候補者らの合同の演説会(公職選挙法第161条の2,第162条)を開催して,まず,施設職員が市議会の役割を話し,続いて,候補者らが学園生に理解してもらえるよう,試行錯誤しながら話しかけるということを行いました。

選挙において、ポスターの顔や雰囲気で選ぶ人は存在するよね、と思う。タレント議員の存在もある。でもその手の選択で投票ということを知的障害者が選択した時には、批判は大きいと思う。
上の文章の「候補者らの合同の演説会」というのはおもしろい試みだと思う。「候補者らが学園生に理解してもらえるよう,試行錯誤しながら話しかける」。内容自体が全て理解できなくても、その「試行錯誤ぶり」に誠実を見いだす人もいると思う。ポスターの顔や雰囲気より、ここで見える誠実さの方が確かかもしれない。
ウチの地域を選挙区とする衆議院議員で、ある母親評というのがあって。「あの人、福祉事業所とか施設とか、マメに回ってるのよね。たださ、そういうところで記念写真みたいなのを撮ってるのがなんか気にくわない。福祉に力を入れます的ポーズ行動に見える」と。↑の文章の滝乃川学園の指導のようなものが普通になると、施設回りに力を入れる候補者も増えるかもね、とも思う。それが本当にいいことなのかどうかはわからんが、現場に足を運ぶことで自ずと見えてくるものが残るということに期待する層も出てくるのかもしれない。

周囲の目

重度の知的障害者の選挙権についてです。/MSN相談箱
重度の知的障害者の選挙権についてです。勤め先の施設の利用者の父親が市会議員で理事長です。利用者本人は読み書きは出来ないし選挙の意味も理解出来ません。いくら父親だからといって、投票出来る状態ではないのに、父親の顔パスで投票させるのは違反行為にはならないのですか?
知的障害でも、軽度の人なら選挙の理解も投票も可能ですが、重度になると難しいと思います。差別するつもりはありませんが、利用する周りの人間に腹立たしさを覚え、法律上はどうなのか教えて欲しいと思い質問しました。

知的障害があっても投票の案内は来るので「顔パス」とかじゃないんだけれど、どんな「指導」をしても、知的障害者が投票所に出向いたときに、そこでの介助者は常に人から「知的障害者を利用している」とは取られるよな、とも思う。
わたしがいつも投票に向かう場所には、その立会人に娘やわたしを知る人が必ず1人や2人は存在する。投票に行って「お久しぶり」の意を込めて、無言の笑顔で会釈を交わす。もしも娘が投票用紙を受け取るのを見たならば、この方々はどう思うんだろうかとも思う。好意的に見る人ばかりではないと思う。正論だけで生活はできない、とも思う。

後見人制度にて、被後見人には選挙権は無い

公職選挙法第一章
第十一条  次に掲げる者は、選挙権及び被選挙権を有しない。
一  成年被後見人

被後見人になる可能性がある場合、「後で剥奪するのなら最初から教えない方がいい」という考え方もあると思う。

「社会」を経験する権利

知的障害者の選挙権。 みんなだいじなこどもたちだよ。/ウェブリブログ
昨日うかがった話なのですが、意外と(というか私が意外に思ったのですが)選挙を楽しみにしている障害者は少なくない」とのことなのです。何故なら、「自分の名前あてに手紙がくるから」なんだそう。確かに選挙の整理券って、個人名が印刷されていますよね。障害者の場合、普段自分あてに来る手紙は殆どないとのこと。だからことさらに嬉しく、喜ばれるかたがいるらしく。政治家を選ぶときも「この人かっこいいから」「名前がかきやすいから」などとたとえ政党や政策は二の次であっても(^^;)。
「選挙の場所へいき、選挙の整理券を担当に渡し、選挙用紙をもらって名前を書き入れ、大きな投票箱に入れて退席する」という決まり切った流れもどうやら障害者には非常にわかりやすいらしく、ちょっとした楽しみになっているらしいのです。

地域にポスターが貼られ、選挙カーが街を行き交い、そして投票がある。特に国政選挙においては、投票日のテレビは各局特別番組になる。投票日までの毎日の中でニュースといえば見ていた人たち(各党首)が、いろいろな表情で出てくる。こういう「社会」が、「自分の名前が書かれた紙をもって投票所に行き、紙をもらって箱に入れる」ことで自分に身近に見えてくるところもあると思う。そして自分が「大人」になったことを誇らしく思う人もいると思う。

さて、我が家においてはどうするか

エントリ最初から無限ループ。娘が二十歳になるまでに結論は出るのか、それはわたしにはわからない。