後期入試の前の最後の日曜日。息子は黙々とお勉強。15歳が自分で決めた選択のストーリーの結末はいったいどこに行くんでしょう。ぐぐぐぐがががが、胸の中がぎぎぎぎががががと落ち着かない。
息子の熱烈志望校、校名で検索かけていくと本当におもしろい文章と出会える。検索エンジンの最初の何ページかくらいは高校入試情報ばっかりなんだけれど、くるくるとページをめくっていくととても興味深いものに出会うことができる。この学校の活動と関係した人とか、そしてこの学校の教員の教育実践とか。教員に関しては論文とか発表とか、取材された記事とかも出てくるんだよね。進路実績で学校の価値が語られることが当たり前のような状態の中、教育実践自体がピックアップされていくようなこういうところはとても貴重だとも思う。
息子の心理に余計な負担をかけたくないからああだこうだとは言わないが、よくぞこの学校をそこまで情熱的に選んでくれた、って感覚はわたしの中には正直ある。まあそういうわたし自身のこの学校への関心というものとは、彼の合否の結果によってはもうすぐ決別しなければならない。アイツがあきらめなければならないものに、わたしが関心を引きずっていたら、それはかわいそうだろうと思うのでね。ここの先生のブログを読み続けることはやめないだろうとは思うだろうけれど、でももしも不合格という結果になったら、心境としては数ヶ月くらいはこのブログのページは開けないだろうなとも思う。なんか失恋みたいだ。
「前期合格しました、春からここの学校に通うんだ」という、喜びに満ちた中三の子のブログも検索エンジンが教えてくれる。いいなあああ、とは思うけれど。でも息子が挫折から拾い出したものは計り知れないものになりつつあるので、それはそれで、とは今は思う。
わたしが息子に合わせて練りまくった前期入試の事前対策については、どこが甘かったのかはっきりとわかってきた。要は「話すこと」に対しての裏付け的データが不足していたのだと思う。多分その手は問われるだろうと予測していたので、今後の進路や希望、学びたいと思うことに関しての対策は練っていたのだけれど、その希望の根拠となる部分のデータ提示に甘さがあったのだと今は思う。彼に投げかけられた質問を振り返っていけば、(ああ、そこか)と思う盲点が今はよくわかる。同じ形態の入試に再トライが無いということを、もっと自分が考えればよかったと思う後悔。特に秀でた教科の成績とか部活の大会実績とかという誰にでもよくわかる実績が無い場合に、そこまですごいものではなくても、彼にとっては位置としてそれに相当するようなものを洗い出してデータとして提示するってことの意味をもう少し突っ込んで考えなきゃならなかったんだなあと思う。いや、やりはしたんだけど結局のとこ、足りなかったんだよねってことだ。くっそー、そこかと思えばもっとやりようがあったと思う。この子の内申には余裕が無いんだから面接で満点取らなきゃ合格は無いんだってことに関して、わたしが甘かったってことなんだ。この子の内申より低い子でも過去に合格者が出てるってことを知っていたこと、だからこそ頑張ったのだけれど、だからこそ甘さが出たってとこもあったんだと思う。息子がわたしの戦略を理解して、信頼してついてきてくれていた分申し訳ないと思うが仕方が無い。彼の目的意識や目標が、この事前対策で整理されたメリットの方が貴重だと今は思う。
この学校を第一志望とする子には、とても成績に幅がある。受験者には、9教科の成績でいえば27から40くらいまでの子が存在するということが情報としてはわかっている。息子はこの層の中では低い方に位置するので、前期で上がごそっと決まっていてくれればいいなあとも思う、同じ内申なら彼は得点力がある方だというのがわかってきてはいるのでね。まあ後は、当日の参戦者にどんな子がいるかってとこの運ですな、とも思う。ああ、怖い。決戦の日まであと4日。