リツエアクベバ

satomies’s diary

実習終えて

毎年の年賀状、家族用や自分用に加えて、娘バージョンをせっせと作成。旧年中の写真を細々と貼り付ける。場面や作品の切り張りをして伝える賀状、この子は一年間こんな風に生きていましたよ。
そんな娘バージョンの年賀状、今シーズンはいつもより文字部分を多く作った。

18歳、学校生活最後の学年でした。
卒業後の進路決定のために高2から様々な現場にて実習。ウェイトレス、企業の下請け作業、陶芸や手織り、紙漉等、いろいろな場所でたくさんの経験を積みました。その中で本人が一番意欲的だったのが学校の作業学習で好きだった手織りでした。本人の意向を尊重した進路決定の道を進んでいます。あともう少しで学校生活も幕を閉じようとしています。

↑の文章は賀状から抜粋、→の写真は賀状に貼り付けた写真のうちの一枚。実習中の5日間で2.5メートル織り上げたものをギャラリーに飾っていただいていたところを撮影。
どこの実習の作業もかなり頑張ってやっていたけれど、さをり織りに対しての積極性は根本から違ってた。「どこに行かせるか」という選択ポイントが「さをり織りができるところ」に変わった。路線変更の時期が遅かったために正式な決定は卒業ギリギリになる模様だけれど、本人に意志確認し、本人に卒業後を伝えられる状況になった。なので「決定」という言葉を使わずに現状の報告。
12月、最後の現場実習が終わる頃、入浴中ののたーっとした時間にのんびりとしていたとき。「ちぃちゃん、実習いっぱい行ったねえ〜。最初に○○に行ったねえ〜」。
「はい、○○!」と元気よく答えるのを聞きながら、「じゃあ、○○の次はどこへ行ったでしょ〜」と聞いた。聞いてすぐに(やべー)と思った。5W1Hの形式の質問は娘には難しい。(どこ?)って聞き方しちゃったなあと。
ところが、間髪入れずに娘が答えた「はい、△△です!」。
へ?とか思って、そのまま「△△の次はどこへ行ったでしょ〜?」と聞いていく。ひとつやふたつじゃない実習先を正確に答えていく。娘にはヒジョーに申し訳ないが、驚いた。5W1Hの形式の質問に、こんなにあざやかに回答してくる機会はほとんど無い。
いや厳密には正確じゃない、かーちゃんが思い入れのあった現場のみすっ飛ばした。「ぶっぶー、□□でした〜」と言うと、「あ、そうだった!」と言ってからえへへへへとテレた。
そして。実習中にさをり織りをやっていた現場の名前を言うときの、その名称を口に出して言うときの表情が他と全然違う。「3月で学校は卒業します。3月で学校はおしまいです。4月からどこに行きますか?」。この質問に対して答えた場所が、娘の受け入れに対して前向きに進んでくださっている現在。ありがたいと思う。
今の特別支援学校の入学前、学校を見学に行ったときに。手芸室の織り機の多さや糸の多さに驚いた。色とりどりの糸が並ぶ棚がとてもきれいだった。
高等部の一年のときに手芸班に。でも一年間の大半は刺繍だった。織り機に座っている時期は2ヶ月か3ヶ月程度だったと思う。高2での作業班は陶芸に。高3での作業班の希望を出すときに「一年のときの手芸では、さをりをあまりできなかったので、できたら再度手芸班に」と言ってみた。言ってみただけで希望が通ると思わなかった。通常三年間で同じ作業班を選択することは難しい。それが、人数調整上の理由からぽんと希望が通ってしまった。
実習先を選択していく時期には、娘がこんなにさをりが好きになるとは思ってなかった。実習を重ねていく時期と娘がさをりにのめりこんでいく時期とがちょうど重なったようなものだった。
12月の授業の最終日の下校時刻、生徒たちがみんな帰ってしまった時刻に、わたしと娘は手芸室にいた。作業班の担当の先生が「是非見て欲しい」と。娘が織り機の前に座って布を織る。実習を重ねたことで、格段に上達している。以前はこんな感じだったのが、今はこんな感じになっていると。それを見ながら実習に関わってくださった担任の先生が言う、「先方がおっしゃってました、どこからこの情熱がわいてくるんだってくらい、織りに対して意欲的だって」。
そうか、そんなに好きなのか。マイ織り機とか買ってやりたいけれど、縦糸張りとかわたしが覚えなきゃならないのが難点。織りたいだけ織ったとしても、それを形にしてやる腕がそばにいなきゃどうにもならん。手芸好きなかーちゃんってのが、今はひたすらうらやましい。