リツエアクベバ

satomies’s diary

実習の日々

レストランに面接/2008年10月22日更新分

始まっています、ウェイトレスな日々。先週再度面接。今週一週間の実習体験、今日で二日目。
「実習生」と書かれた名札を付けたかわいらしいエプロンを身につけて。お客様のところに行くのにトレイに載せてもらえるのはお冷やのコップのみ。下げさせてもらえるのもコップのみ。あとはテーブルを拭くこと、洗った灰皿を拭くこと、洗ったスプーンやフォークを拭くこと、食品を整理する手伝いをすること。
本人はがんばってる。周囲を見て、仕事を教えてくれる人の中で誰のそばにいたら次の仕事が見えてくるのかという視線を走らせているのがわかる。現場の動きを読む、何がどう「仕事」なのか、吸収していこうとする。
でもね、要するにダメダメ。この子にとって「レベルの高い場所」ということが歴然としている。ひとつひとつの指示に言葉だけの指示が入らない、モデル行動がいちいち必要。持参する実習日誌の現場からの報告にも厳しい言葉が並ぶ。「実習はさせてあげましょう」、「迷惑をおかけしますがすみません、よろしくお願いします」というのが予想以上にはっきりと事実として存在している現実。
エラいなあと思うのは、とにかくメゲないこと。お店の一番隅にいるわたしにも「はい」「わかりました」という娘の前向きな声が聞こえてくる。
いや、正直(ツライだろうなあ)と思う。でも。
この子がこの子の知的能力として選ぶ現実的な進路先として選択する場は、こんなにも矢継ぎ早に「はいこれやって」「それじゃダメ」「もう一度」「もっと丁寧に」なんて言葉の雨は降ってこないだろうと思う。そういう場所に実習体験という名目で一時的に入れてもらって、彼女が厳しさやらなんやらを学んでいくことは、きっとこれからの糧のひとつになっていくんじゃないかとも思う。
レベルに合った場というのは大事だと思う。ただ、レベルに合った場しか知らないということと、身をもって知っているということと。そのあたりにも意味はあるんじゃないかなあとも思う。こうしたツラさを知ることも重要なことなんじゃないかとも思う。
そうやって「親の選択として渡した実習先」に、わたしは納得していようとするんだろうか。わたしはよかれと思って追い込んでいるんだろうか。「○○(店の名前)に行きます!」と言う娘の威勢のいい声とか、帰宅したときの(今日もやったー)的な笑顔とかにわたしの方が励まされる二日目。
ふと思い出してappuappuさんとこの過去エントリを再読。

養護学校の進路研修会/とほほな毎日

ここから始まる同タイトルの続きものは、何度読んでも興味深い。