リツエアクベバ

satomies’s diary

27時間テレビから大竹しのぶ自叙伝「私一人」

すでにもう、ちょっと古い話。27時間テレビ大竹しのぶが出てきて「おお」と思って見入ってしまった。鶴瓶が現在進行形の大竹しのぶ明石家さんまトーク映像を「コレDVDで出して欲しい」「買う」と言っていたんだけれど、わたしも思わず「買いたい」と同調してしまった。
読みたいと思っていて月日が過ぎ去ってしまっていた大竹しのぶの自叙伝をブックオフオンラインで購入。私一人
27時間テレビで二人が話す話もこの本には出てきていて、そうかあと思う。フィルード・オブ・ドリームスという映画を二人で観て、さんまがぼろぼろ泣いていて大竹しのぶがしらけていた、という話。その「大竹しのぶがしらけていた」という話の背景がこの本には出てくる。
明石家さんまに対して深読みしたくなるのだけれど。何気なく出したこの映画の話、(大竹しのぶの自叙伝に出てくる話だからこそ、あえてこの話を出したのかな)、と、本を読んでいてちょっと思った。
この本では結婚生活についてこんな風に書かれている。自分といると幸せそうに笑う、と、そう彼が言っていたのに、自分自身も確かにそうだったのに。でも結婚してから自分は笑わなくなった。相手の何もかも責めるようになっていった。ケンカを繰り返す日々。その理由は大竹しのぶの視点から書かれていて、そうかあと思う。
関係暴露本の汚らしさにならないのは、明石家さんまがいかに家庭に対していろいろな思いを持っていたかということもが見えてくる書き方になっているからだと思う。
明石家さんまの離婚会見をふと思い出す。「『オレゴンから愛』ではなく『駒沢から愛』頼むわ」みたいなことを言っていて、結局、「妻の仕事に無理解な夫が離婚理由」のような印象になっていたのだけれど。
人んちの夫婦のことなど「見せる記者会見」などでわかるはずもないのだけれど。自叙伝の中では離婚が決定的になったのは「篠山紀信撮影の写真集の話(ヌード有り)の話を大竹しのぶが受けるか受けないか」ということだったと。この仕事をやりたいと言ったら、断らなければ離婚だ、と。そして「でもやりたい」そしてその上で家庭もやり直して行こうよと言ったときに、彼が言ったことは離婚記者会見の日程の話で、すでにとりつく島は無かったと。
離婚記者会見の「『オレゴンから愛』ではなく『駒沢から愛』頼むわ」みたいな物言いは、端的に「妻の仕事に無理解な夫が離婚理由」とつながりやすい。実際あの当時のあの会見にどーだのこーだのという時に、そんな批評はあがっていたとも思う。でもそういう、なんというか、わかりやすい表現で実は明石家さんま大竹しのぶの何かを守ったのか。などということを逆に思ってしまうような一冊だった、大竹しのぶの自叙伝。
「妻の仕事」に対しての夫の価値観の決定的なボーダーになったのは、ヌード有りの写真集。そして大竹しのぶがこの篠山紀信の仕事を受けたかったのは、篠山紀信大竹しのぶを撮って見せた一枚のポラロイド写真と「迷子のような顔」という一言の大きさ。彼女自身が自分を見失ってしまうような結婚生活だったこと。
夫婦というものは夫婦の数だけ物語があるのだろうと思うのだけれど。その物語を見つめた形の記述、そして大竹しのぶの言う「離婚の産物」としての「今は一番近いところにいる人」という記述が胸に残った。認められなかったこと、認められる距離、そしてそこに必要だった時間ということになるんだろうか。
きっちりと、お互いが絶対に譲れない線を見てしまったからこそ、あの27時間テレビの掛け合いがあるのかもしれないなあと思った。いやあの企画、おもしろかったよね。
ちなみに大竹しのぶのこの自叙伝はやたらに売れたという話ですが、結婚離婚の話は中身の一部で、全編通してオススメの一冊。