リツエアクベバ

satomies’s diary

ウィズコロナ

ウィズコロナというのは、毎日誰かが感染していくことに慣れろ、と。そういうことなんだろうなと思う。誰かはかかる、慣れろ。感染していないやつは働け。感染するまで経済の駒になれ、と。そういうことなんだろうなと思う。

東京都の知事の会見が全国ニュースで何度も何度も流れる。フリップも、もはや何が書かれているかより、またかはいはい的になってきている。

大阪の知事も、東京と並ぶニューススターだったが。なんか暴走したのか、うがい薬で妙なことになった。

知事が次々とニューススターになる中、総理のお出ましがない。やっと昨日会見があって「やあ、久しぶり」とか思う。総理については「会見なんでやらないのか」「家で犬抱いてテレビ見てるからじゃない?」というのがおもしろかった。

総理が犬抱いてテレビ見てる動画が話題になっていた頃は、三浦春馬は生きていたんだなあと思う。長く伸びた美しいリボンを、突然ハサミでぱちんと切ってしまったような幕切れはなんともいえない。突然の悲しみに、周囲から愛されていた話ばかり出てくるのがなんともせつない。

いろいろなエピソードが出てくる中、パン屋のマットをかがんで手で直していたという話が一番好きだと思う。

世界は動いているから、三浦春馬が突然死んでも、彼の作品は生きて動く。わたしは「僕のいた時間」がとても好きだった。体の変化に対しての苛立ちと葛藤は素晴らしかったと思う。
コロナがいつか記憶の中のものになったとき、コロナと共に三浦春馬も人の心に思い起こされるのかもしれない。

今日、母と電話で話した。14日にわたしひとりでそっちに行くよと。まあ気をつけて行くけれど、14日までに500とか700とかいう数字が出たら考えると告げる。篭城させている母と、お盆の仏壇の父と。に顔を見せに行こうと思う。どんなもんなのかはわからんが、COCOAもインストールした。やれやれだ。