リツエアクベバ

satomies’s diary

放置の弊害と炊飯器

自分のwebダイアリーほったらかしている人は誰ですか? そうですわたしがはてダほったらかしおばさんです。そんなおばさんとは関係なく、世界はどんどん動いています。
こつこつこつこつ書いていたweb日記。中断するとどんどん不便が始まります。あれっていつだっけ、これ買ったのっていつだっけ。長くこつこつ書いていると、その日記のどこかにその「いつだっけ」のヒントがあります、とても便利だった。それをやめてしまった最近は、記憶の迷子に陥る。これが最近、けっこう不便。
そういえば車を買った時、買う前からなんだかんだ日記として書いた。そしてそれを読んだ人にいろいろ相談にのってもらった、楽しい思い出。その時の車、今年三回目の車検を通しました。早いね。去年の夏、あらびっくりのエアコン故障があり、コンプレッサー交換になって10万円もかかった。その後、大きな金額の部品交換はおきてはおりません。このあかいくるま、まだまだ仲良しして欲しい。がんばれ。
炊飯器のことは、どこにも書いてないと思う。だから、今使ってるのをいつ買ったかもう思い出せない。多分、息子が高三の頃だったような気がする。炊飯器、特に壊れてもいない、順調に動く。でもある日気づいた「おいしくない」。
高級品を買ったわけでもないが、そんなに安物を買った覚えもない。そしておいしく炊けていたはずだった、この炊飯器。なんとかのなんとか釜とかいうヤツだった。それでもある日気づいた「おいしくない」。新潟の親戚が送ってくれる新米を炊いたとき、なんかがっくりときた、「こんなはずはない」「なにかがおかしい」。息子のお弁当を作る生活がもうすぐ終わる。こんなご飯をもたせたくないわ、わたしは。
そして電器屋に行った。電器屋が言った、「今の炊飯器、壊れはしないが、3〜4年で味は落ちる」。電気の高温にする仕組みのなんとかこうとかがどうとかとか言った。そんなに高級なものを買わなくても、予算がこのくらいならこれで充分違いがわかると思う。そう言われて、確か1万5千円とか6千円とかで買った。
「おいしい!」。なんかもう全然違った。お米の一粒一粒がぷつぷつと粒を主張していて感激だった。それまでの炊飯器のご飯になんの不満ももっていなかった夫と息子が、「そんなに違うわけない」ぱくぱく「おいしい!」。明石家さんまのギャグみたいだった。
その炊飯器、最近は。おいしくなくはない。いや、まずくなんてない。でも、あの日のぷつぷつの粒の自己主張の感激は小さくなっているように思う。新潟の親戚から送られた新米を眺めて思う。炊飯器買いたいなあ。でも、まだ今年買うのはぜいたくかなあ。