リツエアクベバ

satomies’s diary

お散歩

Googleストリートビュー。ほうと思って、あっちこっちお散歩した。
実家は、母がきれいに咲かせた花で花盛りの家となって写ってた。立地が角地なので写真を紹介したいくらいにきれいに写ってはいたけれど、保存してネガポジ変換かけたらあっという間に事件のあった家みたくなった。しかしいくら23区内だからとはいえ、車がやっと入ってこられるような住宅街の細い道を、まあこんなとこまで入り込んで走ったのかGoogleカーは、とも思った。
学生時代によく歩いた学校の周囲は。なんでこの道は写真に写ってなんでこの道は写真に写さなかったのだろうという通りがあった。ここの道の方がここの街の中心みたいなものなのになあ。地図を見て気づく、ああ一方通行だ。そうかGoogleカーはあっちの方向から走ってきてここには入れなかったんだな。駅に行ってからこっちにまた戻って来るにはちょっと道が複雑だったんだな。
結婚してから4年住んでいたのが世田谷区経堂。住んでいた部屋の窓から見える公園の緑はやっぱりきれいだった。バブル期に新築7億円(豪華家具豪華電化製品付き)で売り出されて、半年後には再び売りに出された近所の豪邸は、まだしっかりと豪邸として存在していた。結局あのバブル期価格はその後いくらくらい値段が下がったんだろう。新築時に鳴り物入りで売りに出されていたときに物見遊山で見学に行った。(オメーみたいな普通の人間にゃ買える家じゃないんだよ)と顔に書いたような営業の人に見せてもらったあの豪華大理石の総床暖房はまだ動き続けているんだろうか、豪華家具豪華電化製品はさすがにもう全部別の物になったんだろうか。工事のときにクレーンで城塞のような表から中庭に運び込まれた木は、まだ生きているんだろうか。
駅から帰る帰り道に、鈴木善幸元首相の自宅があった。自宅の門扉の横にロケットのような狭い小さな建物の中にいつも警官が常駐していた。首相経験者の自宅にはああいう警備があるんだよ、と、初めて聞いて見てというそういう場所だった。自宅はそのままにまだそこにあったけれど、その警官常駐場所は無くなっていて、ああ善幸氏は亡くなったのだなあと改めて思った。
経堂からまた引っ越して、子どもを生んで数年育てた街に行く。ここに住んだのは6年か。よくしてくれた八百屋さんが無くなっていて、見ていてちょっと淋しかった。障害をもつ子どもを育てるということで、初めて知らない人から継続的な支援を受けたともいえる近所のミニストップは、しっかりそのまま写っていて、とても懐かしくて感慨深かった。オジサンオジサン、わたしは元気だし、娘はとても大きくなったわ。
娘を育ててくれた保育園は、写真で見るとこんなに小さかったのかと思うほど小さかった。小さい場所だった、でも大きな大きなものを育ててくれたなあと思う。今もそうやって母子ともに支えられてる人がいるんだろうな。
見ていて、バーチャルお散歩しておもしろかったけれど。でもなんでこんなとこまでネット上に写真を紹介していくんだろう地図として、ってとこは本当に多かった。住宅街の中の路地の写真は、いったい誰に必要なんだろう。観光地とか駅前とかだけで充分なんじゃないか? 住宅地まで入り込む意味ってなんだ?と思いながら。あと表札は文字の上にボカシじゃなくて表札全体にボカシの方がいいよね、名字の文字数分のボカシって、なんかイヤね。
現在の自宅はストリートビューで見られる青い地図の外に存在。横浜市も対象に入ってるけれど、横浜は全部網羅できるほど全部が全部都会じゃない。自宅の近くは主要な道路は対象に入っていて、まあコレで人にとっては用は足されるんじゃない? とも思った。人の家なんて単なる光景で光景以上にズームができるのは、やっぱりなんかヤバいよね。