リツエアクベバ

satomies’s diary

yas-toroさんからのトラックバックをきっかけに「過去エントリ」をぐるぐる

 金曜日に「後で書く」なんて入れたものの。あっちこっち読み回って読みふけって、また自分の過去ログを読み回ったりしていて。最初に(ねえねえ)と思ったことが半ばどうでもよくなってしまった。
 あっちこっち読み回って読みふけって。そして自分とこの過去ログ読み回ったりして。思うことは。その時その時に自分の中で引っ張り出すものはあっても、それは終点ではないこと。連続した線の中でのひとつのそしてひとつの側面のアウトプットなのだなあと思うこと。そんなこと当たり前のことかもしれないのに、その当たり前のことをあらためて(そうだなあ)と思った。
 yas-toroさんの過去エントリのリンクから、てとさんの過去エントリに飛ぶ。これこの更新時に読んだなあと思いながらも、また新鮮な感じで再読。

必要なのは「逃げ場」じゃない/ko-ko-sei nikki

 ここでいう「場所」というのは、具体的にたとえばどんなところなんだろうと思う。てとさんが表現する中でイメージしていた「場所」と、わたしがこの文章から想起する「場所」とは一致しているんだろうか、とか。そして一年前にこの文章を読んだときに、わたしはこの「場所」を、どんな風にイメージしたのだっけ、とか。この「場所」のイメージが全て一致していなくても、そこから想起する世界の方がきっと大事なんだろうとも思う。
 yas-toroさんの過去エントリのリンクから駄文にゅうすに飛ぶ。あらyas-toroさん、そこから飛ぶのは駄文にゅうすのトップじゃないか。yas-toroさんがリンクしたかったのは正確にはココだよね。

「ネットの私とリアルの私」に関するえとせとら/駄文にゅうす2006年11月14日更新分

 これこの特集、やっぱ駄文にゅうすすごいなと思う。リンクしていただいた自分とこはすっげ〜わかりにくいエントリで、ちょっとごめんなさいと思う。
 「『ネットの私とリアルの私』に関するえとせとら」。てとさんはてとさんの場を閉め、marubonさんとして動き出した。わたしはmarubonというIDの持ち主がてとさんだと気づいたのは、marubonさんという方を認識した後だった。marubonさんからトラックバックを受信して、ああこれはてとさんなんだと思ったときに、ちょっと恥ずかしくなって立ち止まってしまった。前ならねえねえ言いにいったのに、ぽこっとブックマークにクリップしてふむふむながめていたのはなんだったんだろうとちょっと思う。「ネットの私とリアルの私」とはちょっと違うけど、「tetotanの私とmarubonの私」に対して大縄飛びの一周遅れみたいなとこをわたしは持ってるのかなあと思った。「tetotan」の方をRSSリーダーに入れ続けていたにも関わらず、リアルタイムに「復活したらしいよ」というエントリを見落としたことが影響してるのかなあとか。
 そんな気恥ずかしい告白をちょこっと吐露しつつ、marubonさんに手を振る。は〜い、復活ね、またよろしくね。周回遅れになっちゃったみたいな感じがちょっと自分の中にあったけど、すぐに追いつくさ。