リツエアクベバ

satomies’s diary

あちこち閲覧

 駄文にゅうす、すごい。自分さえも忘れていた過去記事掘り起こされちゃった。
 いや、しかし申し訳ないな、と。一応カテゴリ分けなんぞしているけれど、過去記事って、ぐっちゃぐちゃだもの、その文章の大まかな分野みたいなものが。そのぐっちゃぐちゃになってるとこから上手に掘り起こしていただいているなあ、と思う。感謝。
 更新し続けているうちに、だいたい自分の中では整理されてきていて、カテゴリの整理なんぞやりたいんだけど、過去記事見てると恥ずかしくなって逃げちゃったりするのよね。ぐっちゃぐちゃの物置みたいになってきてる、自分の中で。だから最近は、自分の中で整理されてから上げたいと思っているので更新の頻度が落ちてるという感じ。そしてはてなに逃避してるってことかもしれない。
 いや、大事なんですよ、goo。自分の歩いてきた大事な軌跡の場だしね。だからこそ、最近は、整理したものをあげたいと思う。
 FC2のやんちゃさんとこの「ブログの一部を読んで人間性を決め付けられる事について」を読む。いや、読んだ感想と発展的自分の勝手な思いだから、トラックバックはしないよ?トラックバックしなくたって、リンクすりゃ必ず見つけに来るって知ってるから安心してリンクできるってとこはある。公開の場でいう限り、このFC2のやんちゃさんには「ここだけの話」なんてのは通用しない。
 で、この文書のココに、大爆笑し、そして納得。

ところで僕=えっけん(越後屋健太・ekken)に対する読み手の印象として見たことのあるものの中には、次のようなものがあります。

  1. いつも怒っている
  2. 揉め事好き
  3. 揉め事の種
  4. 初心者に厳しい
  5. 初心者に優しい
  6. 無駄に長文でまとまりがない文章を書く
  7. 読みやすい長文書き

挙げていくとキリがないのですが、ここで挙げたもののうち、4と5、6と7はそれぞれ相反するものです。
読んだエントリによって違いがあるのかもしれないですし、好きか嫌いかによっても抱く印象は変わってくるでしょう。こういう印象を持った人が、僕の書いたエントリの多くを読んだ人なのか、あるいはごく一部のものしか読んでいないのかは判別できませんが、10人いれば10通りの印象があってもおかしくないわけです。仮に「そんなのはアタシの本当の姿ではありません! ちゃんとアタシを見て! 本当のアタシを知って! ひどいわひどいわ!」などと訴えて、多くのエントリを読んでもらった所で、書き手が望む「自分に対する人間性の印象」を読み手が抱くわけでもないでしょう。

 これは確かにそうだ。その話題に関してどうとらえているか。そういう印象が読み手に与えられる。そして人間ってのは、いろんな意味で多面性を持っているのが当たり前で、その多面性のどの部分がブログのちょこっとの部分に端的に、また発見しやすい状態で現れるか、なんてことは、はっきり言ってコントロール不能なものだろうと思う。
 そしてそのリアクションから、「どう見られているか」なんてことの一部が発覚したりするんだろうけれど、それが当たっているかどうかなんてことも実はわからない。結局、個々の人間が、自分にとってこのURLは、このブログは、どんな位置づけになっていくかってこと。それを決定する自由が誰にでもあるってこと。わかってるのは、実はそのくらいのことかもしれない。
 過去記事掘り起こして持っていってくださったFrom Eさんには、「コイツ最近更新していないが、過去記事からなんか掘れそうだ」って思われたのかな、と思う。で、この過去記事被リンクからわたしが勝手に推測することも、それは単なる推測であって、それが当たっているかどうかなんてことは、実はわからないことだよな、と思う。
 で、まっち〜んとこが、最近、自分の通った道筋を連載しているわけで。この連載、ホント、よくやってる、よく頑張ってると思う。どん底に行き着くまでは、当時を思い出して心臓ばくばくしたけど、展開はすでに這い上がって戦いが始まったところに行き着いてる。この連載に、幾度となく「Sさん」は登場してくるわけで。
 彼女に対して渡し続けた「文字会話」は、それこそ、どんな印象の人間にしておこうなんて計算もへったくれもなかったわけで。でも、彼女には彼女が受ける、受け取りたいと思う印象で残ったんだと思う。それを彼女はまた、彼女の体験談として出す。そこに出てくる「Sさん」を読者は読む。この構造の中で、「Sさん」は、読む人によって七変化しているんじゃないかと、そんな感覚で読んでいる自分が実はいるわけです。
 実際の話、どん底期はな、優しかったんだけどな。彼女が立ち上がってからは、厳しかったんだよ、けっこう。意志は決まってても雪山の遭難状態だったから、寒さと吹雪の中ですぐに逝っちまいそうになるわけで。逝っちまいそうになると、非常ベルが鳴って彼女の手が助けを求めて伸びてくる。そこで「寝るな、立て、寝たら死ぬぞ」、なんて勢いもあったよな、と思う。無事に帰るんだぞぉ、みたいなとこ。その厳しさってのを際だたせないで書いてるまっち〜ってのがいて、それが彼女が持った「Sさん」の印象だったんだろうな、と思ったりしながら読む。自分が書かれているようで、実はわたし自身もすでに「読者」として「Sさん」を読んでいる面白い展開。