リツエアクベバ

satomies’s diary

ブログの効用

 2006-03-15「音読プレイ」に入れた友人のブログが効果的に動いている、と、わたしは思っていて、勝手に満足。
 彼が主宰する劇団のオフィシャルサイトには、もともと彼が「話す」ことを閲覧するための場がBBSを利用して存在していたのだけれど、「個人」がオフィシャルサイトという場に飲み込まれているという感があった。「個人」の「個」がもっと出た方がよくわかるという要素が無いだろうか、と。そこでブログを提案。
 数あるサービスの中で、はてなを選んだのはキーワードの存在。他とつながる要素というチャンスを含み、そしていずれ、というか、発展的課題として、キーワードを作るということの可能性を持つこともできる。はてなのキーワードにはまだまだシェイクスピアの作品の紹介に関して薄い。作品数も少なければ、記述も平坦でおもしろみに欠ける。日本シェイクスピア協会のイベント「2006年度シェイクスピア祭」にトークゲストに呼ばれる立場として、キーワードを作る資質ってのは充分にあるだろうと思う。
 携帯からも発信できる、という即時性。そして「個人の場」として「泣き言も書けよ」と提言。「個」を出す、「個」が見えていく、という記述には「泣き言も書けよ」ということは促進効果になっていくと思ったから。また、主宰、演出、出演という種々の立場を持つ緊張状態に対して、息を吐いていく場として、効果的に作用していくんじゃないか、と思ったから。
 今公演も、今日明日で終わる。予想通り、ブログにはその歩んだ軌跡が残っていったと思う。彼の観客にとっても興味深いものが残ったんじゃないかと思う。一時的な彼の仕事の妨害とならず、二次的にプラスの影響を与えていく。これもブログの効用なんではないかと勝手に満足。カテゴリに公演演目を持ってくるようにさせたから、今後、過去公演の軌跡としての閲覧も簡単。この辺もブログの利点だな、と思う。
 さて、今回の彼のお仕事、6日マチネ公演で観劇。作品のテーマに忠実に、そのことに沿うために自由な発想の演出を繰り広げるのが特徴的な彼のお仕事。今回は特にその演出が、作品に対しての親しみやすさとわかりやすさを加えたんではないかというのが感想。笑いながら感心したのが作品中に出てくる男女の「同衾」シーン。この作品の中でキーになっていく「ある男女がベッドを共にしました」という場面。こうした場面は、登場人物のセリフの中でしか出てこず、伝えられる事実としてのみ出てくる、ということが「演劇」には多い。映画やドラマのように映像のテクというものが使えず、ナマでやるわけにはいかないものだしね。ベッドという舞台装置を持ってきて、はい入った、はい出てきた、なんていう説明的シーンを作ろうと思えば作れるが、ベッドなんていう重たい舞台装置を持ってくれば、自ずと場面展開のテンポは悪くなるし、劇場という「箱」もそのシーンだけで限定されてしまう。
 この「同衾」シーン、コイツ、ステージと客席の間に存在する段差を使って、男女に手をつながせて踏み台昇降をさせやがった。男女二人がステージに背を向け客席を正面にし、手をつないでいわゆる段に向かって後ろ向きの踏み台昇降。下がって上がる下がって上がるとリズミカルにやらせ、しかもその速度を段々上げさせ、男女の表情を微妙に変えさせてその動作のクライマックスを作り、動作の「終了」を、「深く息を吐き出させて放心の表情で抱き合わさせる」ことで表現。わざわざ持ってくる舞台装置ではなく当たり前に存在している段差が、一時的な舞台装置に変わる。上手い、と感嘆。ある意味バカバカしい動作の特徴をとらえて、生々しくない乾いた表現体に持っていき、キーとなる場面を体現させる。そして観客を、その事実を「見た」共感者に引きこんでいくことができる。まあ彼の演出のうまさってのは、今回もこれだけじゃなかったけどね。つか、オマエはそんなとこを代表的なとこに持ってくるのか、と突っこまれそうだけど。
 ってことでこの文章、ブログ名だの固有名詞だの名称だのってことを極端に省いたのは、彼に対しての検索で上がりたくなかったから。興味のある方はコチラにどうぞ。