リツエアクベバ

satomies’s diary

わたし、空気、読めません

 姑の百箇日の法要で集まった夫の家の子どもたち。次の「集会」は新盆だそうです。8月15日に「集会」だと舅が言う。
 は?と、わたしは思う。寺の家ですぜ。お盆といえばお盆じゃないですか。そんな事情もあって、この家でお盆に義姉義妹が来たことはありません。で、15日?
 九州の寺の僧侶である義妹のダンナは「なんとかすりゃだいじょうぶだ」と言う。都内の寺の僧侶である義姉のダンナも「まあ、なんとかなるだろう」と言う。なんとかならんだろ?とわたしは思う。思うから言う、「だって、そりゃ無理だろう」と。しかし義姉も義妹も何も言わない。
 なんとかなる、なんとかなる、で場は流れる。大きく疑問符いっぱいのわたし。でも義姉も義妹たちも何も言わないからそういうもんなんだろ、と納得する。
 そして二日経って、法要の少し前から実家に泊まっていた義妹一家が帰宅のために出発の今日。義妹が昼食の準備をしながら台所で言う。当然のように言う。「うちは15日は無理だから、お盆に来るのはできない相談だって。だからその前に来るから」。
 は??? だってあの場で何も言わなかったじゃないか…。驚くわたし。しかしその場にいたもう1人の義妹は平然と、驚きもしない。わたしの隣にいた夫も驚かない。
 義妹は疑問符いっぱいの表情のわたしに言う「あの人はああ言ったけど、ヨメの立場ってものでそりゃできない相談だって。だからお盆より前に来るからね」
 ???状態のわたしに対して、帰宅してから夫が解説。舅は新盆は新盆だからお盆の時期になにかしらやりたかった。それで舅なりに娘達の家の事情を加味して15日、お盆の最終日ならいいだろうと思ったのだろうけれど、それは難しいだろ、と。難しいだろとは思うけれど、舅がそう言うなら、そうしたいなら、それはそこで一同立てた、という展開。しかし現実の結論はもう少し時間が経過して、いずれはっきりしてくるだろうという認識はあったんだよ、と。
 つまり、座敷での場と、台所での場と、会談の内容は全然変わるわけで。台所の場での結論は実は本当の結論であり、座敷での結論は後でどんなに結論が変わることが目に見えていても、場の主体である家長を立てるものなのだそうだ。台所の場での結論は、それぞれの家で妻によって夫が納得させられるもので、それがわかっているからこそ、座敷での場の結論は一時的に「立てられる」ものなのだそうだ。
 その台所の場の結論を上手に亭主に話して、結論に持っていけるのが「良妻」のようで、この夫婦のプライベートでの会談が上手に進められる家が、平和な家ということになるようだ。そしてそれがわかっているからこそ、最後の決定段階でのそれぞれの家から「女」を通じて持ち込まれる結論が、平和に決定項になるということらしい。妻である姑を亡くした舅の説得には、この家の「女」である義妹が担うということになるという暗黙の了解も発生していたようだ。こうして「女」に説得される姿は表向き、誰かの目にさらされるわけじゃない。こうして「男」は、その位置が保たれることができるという展開。
 つまり旧家の嫁であった姑は、こうしたカルチャーを娘達に生活を通して「伝授」してあるわけで、だからこそこの家の娘達は「寺の嫁」がスムーズに務まるということらしい。男尊女卑だのフェミニズムだのということの権威の方々からはお気に召さない展開かもしれないが、わたしはこれはひとつの文化なんだろうと解釈する。文化と解釈するのは、実際のとこ、誰も傷つけられているわけではないから。ただ、スムーズに、誰も傷つけずに進む展開のような気がする、ちとまわりまわってメンドクサイ気もしないわけではないけれど。
 解釈をするし、否定もしないが、わたしはこうしたカルチャーに関しては、完全に「外人」状態。夫の解説を必要とする。常に空気を読めず、堂々と表で発言し、その展開によりカルチャーを知る。すごいな、と思うのは、この家ではこうしたカルチャーをさっぱり理解できず、常に空気が読めない発言をしているだろうわたしを、誰も責めないこと。そのカルチャーに誰も引きずり込もうとしないこと。
 まあ、一番引きずり込もうとしないのは夫なわけで、だからその夫のその思考が、もしかしたらこの家の長男の思考として「立てられている」ということなのかもしれない。わからないけど。
 そう、わかんないんだよ、わからない。本当にわからない。いや、真面目にわかんないんだもの、いつもこうした現象の後で理解する、ああこういうことだったのか、と。本当に空気が読めない、その空気自体が自分が育ってきた文化の中に無かったから。
 長男である夫は、表向きカドを立てずに、それでもきちんと自分の主張を通すことにたけている。一見我慢しているように見えるけれど、機を狙うのがうまいというか、機が熟すタイミングを待つことにたけているというか。だから彼の周囲ではもめ事は起きない。これもこうしたカルチャーから来てるんじゃないかと思う。