映画
三丁目の夕日の続編、観に行ってきました。続編だけど、ドラマによくある元編の再現シーンの反復は無し。元編見てて当然の上でという感じで、登場キャラに関して特に説明も無く、まあ続編ぶっつけで観る場合それなりに解釈してよ、という感じのとこが気に入る。
時代を共有できる人は全て拍手をしたくなるだろうシーンから始まる。この導入部はかなりうれしい。
昭和の世界を描くためになんもかんもぶちこんでみた、さあ昭和ファンタジーランドだという感があった元編より、ストーリー性は高いと思う。先が読める通俗性はあれど。そしてそこでそこまで言わんでも的セリフの存在はあれど。まあ中心に「見えない指輪の物語」を仕込んだとこがあるからだろうけど。
映画と曲のコラボ。監督がラブコールで楽曲を依頼し、そのラブコールに映像を見て曲を作るということで楽曲提供側が応え、そして最後に監督がまたその楽曲に応えるという感。最後のテロップのシーンで流れる楽曲の歌詞がスクリーンに映し出されるという映画は初めて観たし、そして曲が全て流れて銀幕に何も映らなくなるまで誰も席を立たなかった。このコラボ、やっぱり映画館で観てよかったと思った。
今日の「連れ」との対話
映画、胸をぎゅっとつかまれたような思いがしたシーンでたらたら泣き。映画館の椅子に体ちっこく丸めて、ニットの上着を上半身にかけまるで毛布にくるまるような態勢で顔半分隠して目だけ出して観てるラストという感じ。そんな弱虫態勢で、でもラストコラボタイムを全身で受けて。なんてとこを、連れから優しく見守られる。なんにも言わなくても、動作大きくなくても、こういう優しい見守り方ってできるのは個性なんだろうと思う。全部終わって場内が明るくなったら、この連れ、わたしの顔を見て一言「着うたフルで取りたいですか?」。はっはっは、そうくるか、と思った。返事は「金かかりそうだから、いい」。
映画館出てトイレに行く。上映時間長かったしね。手を洗いながら鏡見て、わあ、と思う。トイレ出て連れに言う。「ねえねえ見て見て、ココ、ココ。跡がついてる」。しっかとつかんで引っ張ってたニットの上着、思ってたよりも相当ぎゅっとつかんでたようで、頬にしっかりニットの跡が付いてた。
映画観てから昼飯食いに行く。何がつらかったのか、何をどう感じていたのか。などという話が、特に質問なんぞしなくても相手の口からこぼれ出てくる。人と人との関係、思うこと。どう思うかと質問されることに、割り箸やおしぼりを使いながら図示して答えたり。ボクは逃げているのか?と聞かれることに対して、逃げているという単純な言葉だけで言えることならば、自分で戻るという選択肢をもつことは可能だと思う。戻るということに心理的抵抗が強くて動けないのならば、それは逃げているという単純な言葉で片が付くものでもないと思うと答える。
簡単にあいづちが打てない話に、わたしが考え込んで黙り込むシーンが幾度か。その慎重に黙り込むシーンを受け止めてくれる心理的態勢を幾度も感じる。他者の心の機微を細かく察知するタイプの子なんだなと思う。
別の側面からの専門家のアプローチがすでに始まっていて、本人がそこに期待をもっている印象。BUMPのいくつかの曲を見繕ってぶちこんだCDをプレゼント。結局ソレかよ自分。
ブログバレ。アンタだよアンタ。(ほぼ私信)
娘の学校で。mixiやりたいけどmixiやってる息子に頼んでも息子が招待メール出してくれないとこぼすかーちゃんに。じゃあわたしが招待メール出してあげるよ、と。コミュ閲覧にしか使ってないmixiのプロフをあわてていじり、ブログのリンクをはずしてから招待メールを出す。
「検索でいろいろ閲覧」だの「ブログ読むのはおもしろい」だのというコイツの発言に、いちいち(びくっ!)としていたんだよわたしは。コイツに見つかるのは時間の問題かも、とも思うよな、と。
結局、話の流れの中で自分から言うことに。わたしブログもってるよ、と。恥ずかしいから言いたくないんだよ、と。そうは言いつつ、9月29日更新分を電話で声に出して読んであげる。このエントリに出てくる「懇談会」を企画したのは彼女だから。そしてこのエントリでわたしが「印象的だった」と出した言葉を発言したのが彼女だったから。そのエントリの中のワンフレーズを聞き逃さず、彼女はそこのワンフレーズをヒントにわたしのブログに到達する。
あのね。ブログ書くのはね。ほら、今週の火曜日だったかにプロフェッショナルがどーとかのテレビの話題になったでしょ。そのときにそのことを会話でやってるとこで、会話の中でスースーすべっていっちゃうようなとこ、あるでしょ。そこもっとゆっくり話したいの聞きたいの、なんてことをわたしは感じるんだ。でもぱたぱたぱたぱたと言葉は流れていってしまうとこ、あるでしょう?わたしはあると思うんだよね。その流れる速さについていけなくなることがある。もうちょっと時間をかけて、ゆっくり、その対話の中で浮かび上がるものを見たいの。
わたしは。そういうとこを文字上に書いていって、そして書かれたものを読んでいって。そこで見つけたい何かがあるんだよ。だからさ、ブログを書くのはさ、わたしには多分、そういうこと。