リツエアクベバ

satomies’s diary

ランボー再見の一番の動機

ランボー再見の一番の動機は、「わからなかったから」、だと思う。いろいろな人のレビューを読んだ。でも違う、何か違う。と思った。
ランボーの新しい映画「ランボー 最後の戦場」は、多くを語らない。多くを語っているのは、ひたすら人間の体がぶっ飛ぶシーンばかりだ。首が飛ぶ、腕が飛ぶ、足が飛ぶ、人間の体が木っ端微塵になる。
では。といえば。ランボーは? ランボーは悩む。ランボーは決断する。でも、最初の決断にはシーンもセリフも少なすぎる。ただ、ランボーの表情のみ。時間も少ない。
そこで、(ああこういうことね)と言っちゃうには、あまりにも核心部分が少なすぎる。それはシーンの失敗なのか、と受け取る人も多いようだけれど、それは、なんというか、テメーが考えろ的にも受け取っているところがわたしにはあったと思う。饒舌過ぎたら失敗する、見せるものを見せつけて、そして引き算の手法。
ランボーの二番目の決断。ここでは自問自答のシーンになる。自分自身に向かい合いながら、ランボーの、口を開かずに心の中で、という感じで出てくるセリフの一人称は「You」だ。自分自身に対して「オマエは」と問いかける。
今回一番残っているセリフは「Who are you?!」というもの。カレン族の支援に行きたい医師団をボートで送るランボー。そこで海賊船に会う。襲ってくる海賊をランボーは瞬時にダダダと殺してしまう。それを医師団のリーダーが責める。「Who are you?!」。そこでランボーがそのリーダーの胸ぐらをつかんで怒鳴る「Who are you?!」。
「Who are you?!」。結局人間は、何かを選ぶことしかできないんだ、と思った。ヒロインも医師団も、戦場に向かうことを選んだ。その選択で出てくること、そしてその選択の次に出てくる選択もまた、全て選ばなければならないんだ、と思う。目の前で自分たちが助かるためにダダダとランボーが人を殺したけれど。引き返すぞというランボーに「これが選択なんだ」と引き下がらないヒロイン。これがヒロインの選択。そしてその後、自分が殺戮の限りを尽くすことを知っていて、戦場に向かうことを決断したランボーの選択。ヤバい戦いになることをわかっていて、戦場に向かうか否かをランボーに突きつけられて出した傭兵達の選択。戦場は全て彼らの選択。
ヒロインは目の前に繰り広げられる殺戮を、ひぇーー状態で見ているけれど、それはアンタが選んだことじゃないか、ってことなわけで。自分のために誰かの直接的な加害者になってくれる人のおかげで、アンタが直接的な加害者にならずに済んでいるだけで、このヒロインだって立派な加害者だ。加害者にならないと思いこんでいるところにいられると思っているのはみんな間違いだ、ってことでもあるんだとも思う。
医師団のリーダーは、最初に目撃したランボーの殺人を、それで自分が助かったにも関わらず責めたけれど。結局このリーダーも、自分の命を守るために人を殺す。誰かを自分を救うってことは、誰かを殺すってことだということが極限には存在する。
ヒロインは自分の手を汚すことはないけれど、大量の死骸をそばにしながら、たった一人の自分が生きていて欲しいと思う人間を死骸の山の中で探し続ける。人の死をなんだかんだ言ったって、この状態では要するにそういうこと。
わたしだってそうだ。わたしは人を殺すのか。簡単に判断できる。そのシチュエーションがわたしの子どもたちの命を守るためならば、わたしは人を殺すと思う。そこに何の解決が無くても。わたしにとって、わたしが死んで欲しくない命が生きるということが、わたしにとっての解決でしかないんだと思う。まあ厳密にはそんな力自体がわたしにはね〜ので、無惨に死ぬんだと思うけどね。ただ死ぬときに、自分に力があったならばと思うと思う。そういう意味では「殺す」を選択するのと同じだ。
どんなレビューを、どんな解説を読んでも今ひとつ(これは違う)と思ってたこと。でも、結局行き着くのはここだよな、と思うことが、この映画のレビューとは関係無いとこにぽこんと存在してた。二度見てもわからなかったことは多いけれど、でも結局わたしのこの映画の感想として行き着くのはここなんだなと思った。

失敗の理由/北村 想 の ポピュリズム