リツエアクベバ

satomies’s diary

「まとまらね〜よ」とまず最初に言っておくおしゃべり

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福祉に対する心構え/CROOK

エスパー

 まあタイムリー。昨夜、早めに帰宅した夫とエスパーの話をしてた。昨夜なんだか娘が異常にハイテンションで、ウケを取ろうとする勢いがものすごく、そのウケ狙いが見え透いてるので逃げておりましたら。夫とわたしの目の前にそこらの紙袋をかぶって現れた。んだよオマエ…などと思いつつ、大笑い。
 それを夫と見ながら、夫が「なんかあんな感じの怪人がいたヤツあったよね」と。アレだよアレ、いーえすぱー!ってヤツ。エスパー、エスパーと。「いやウルトラQだったかも…」と夫が言うので「そんな古いのや昭和のことなんてわたし知らないわ、わたし若い子だから」とぶっとぼけると、「あのね若い子は『いーえすぱー!』なんて毛の先ほども知らんだろ」とツッコミ。そのツッコミなんぞもう全然聞かずに、いー、えす、ぱー!と叫びながら三段跳びを開始していました。いー、えす、でホップステップで、ぱーでジャンプするんだぜ。娘も加わってエスパーごっこ。それからそこに出てきた怪人の変な動きを執拗に再現して遊んでました。多分この時間帯には「エスパー」という言葉を使ってエントリ上げようとlegnum氏は思っていたに違いない。キミはエスパー。

光速エスパ−
今回、当サイト上で『光速エスパー』のHP検証紹介の作成作業をしながら、「E・S・パ〜!(変身時の決まり文句)」とか、「バッババババキュ〜ンと空を飛ぶ〜!」…などと叫んだり、左右に不気味に揺れ動く「ギロン星人」の異様な真似など(笑)…そう言った「エスパ〜ごっこ」も当時、子供達の間で、とっても流行っておりました…。

おお、そうだった

仕事だって「今度からこの申請はこの手順でやりましょう」みたいな事を言い出せば「やってもいいけど雛形はオマエが作るんだよな?」みたいな流れになりやすい。
福祉に対する心構え/CROOK

 そ〜だった、そうだった。「仕事」よりもっとさかのぼれば。学級会とかホームルームとか。そういうとこからこういう流れはあったよな、と。
 なんだかかんだかぐっちゃらぐっちゃら考えてる思春期の時代だったか、わたしは「のっぺらぼう」と称していた層があった。「猫に鈴」みたいなことになると、すーっと存在感が薄くなる層がある。それは保身であったり自信の無さだったりすることからのことなんだろうけれど。いらだちもあったけれど、逆にコレができる人がうらやましくなる局面もあった。なんとなく勝手な印象なんだけれど、同性のきょうだいがいる次男次女には難しいワザのようにも思ったなあ。習慣習性として「息を潜める」経験が乏しいかもと。

コレも、わかる

 甘えついでに失礼を承知で言いますと自分がその立場(手を差し伸べる側)でまず考えてしまうのは川で溺れてる人を助けようとして一緒に溺れて亡くなってしまう人だ。
福祉に対する心構え/CROOK

 ひどく単純に言ってしまえば、「障害」って怖いよね。手を差し伸べるようなタイミングで、ああここは手を差し伸べるタイミングだと認識しているにも関わらず、一歩踏み出すことの抵抗感というか怖れというか。
 自分の中に障害をもっている人の層というものの存在があんまり日常的になりすぎて、この感覚を忘れていたようにも思う。
 支援を必要とする。この前提があるとき。そこに必要なのはその支援を必要としている人の「精神的な安定感」なんじゃないかと思う。「右手を貸して。でも左手まではいらないわ。」みたいなとこ。そうじゃなきゃ、おっかなくってそう簡単には手を出せないよな、とも思う。
 たださ。そういう「精神的な安定感」があると、今度は「態度がでかい」的なとこも出てくるかも、ってのがまあまいるとこかな、と。それでも「右手を貸して。でも左手まではいらないわ。」ってのは基本だろうなと思う。

ついでついで

 「溺れる人を助ける」というフレーズでわたしが思い出すのは美談でも悲話でもなく。森瑤子の「嫉妬」。初期の秀作。

 最後に眼の端にちらりと捉えたのは、波の中へ小さな魚のように飛びこんでいった夫の姿だった。それは麻衣の眼に、あまりにも無力に見えた。しかも夫と波間に見え隠れする三つの頭との、絶望的な距離感が、彼の行為をどうしようもなく愚行のように感じさせるのだった。三つの死が脳裏をよぎる。言いようのない恨みがましさで彼女の胸が詰まった。
(森瑤子「嫉妬」集英社文庫p.37から引用)

 この後「夫」は、救い出して生還。一人は死に、一人は助かる。達成感ではなく、救い出すときに引きずり込まれそうになった死への恐怖感から「夫」は嘔吐する。そして嘔吐と共に言ってしまう「僕に、他に、女がいる…」。
 誰かの命を助ける。その「助ける」というエピソード以上に、助けようとするときの「死との隣り合わせ」という経験。精神的な部分をも含めた「嘔吐」。この展開の描写は何十年経ってもわたしの中ではちょっと強烈。

もうひとつついで

 今日、所用アリ娘の学校へ。出くわした中学生の子のママ。「今日は?」と聞くと、先日のなになにでこれこれこうで、それからこれこれこんな状態でこんなことがあって。だから今日は授業についていようと思って、と。聞きながら動揺。去年は○○だったよね、と。ああ去年はね。でも今度はまた違うヤツ、と。
 まいったな、と。この子を育てるということに関してこのママは本当によくやってると思う。よくやってるのだけど、次から次へとまたかいなという展開が起きる。この子の体は落ち着かない。よくやってるのに、その上によくやらなきゃいかんことが続出する。それをさらさらと伝えてくれることに胸がつまる。
 思わず飛びついてハグってしまった。ゴメンね、なんにもできなくてゴメンねって。うんうんと彼女がにっこりと応える。この精神的な安定感は、周囲にも支えだな、と思う。