リツエアクベバ

satomies’s diary

紛争について、ちょっと考えてた

今までずっと放置していたtwitterを、ここのところ頻繁にのぞき続けてる。twitterクライアントってtwitterの閲覧に便利なのね。という、ずっと初心者のままの初心者。
のぞき続けている理由は、あるひとつの論争を見守っているところから。なぜ争うのだろうと思う。子どもが巻き添えになっていっているところが心が痛い。
昨日友人から電話があった。受話器を取ったところで耳に入ってきた声は涙涙。「裁判が終わった」。そうか、やっとやっとあの裁判が終わったのか。障害がからんだ民事訴訟
被害者としての友人側。この友人は本来争いというものを好まない。争いたいのではなく、理解して欲しい。理解して和解して欲しい。この思いが「正義、公平、原理原則、良心、この4つの力によって結論は導かれるべき」とする弁護士さんによって解決を見たという結果。ブラボー。
「正義、公平、原理原則、良心、この4つの力によって結論は導かれるべき」。ストレートに簡潔に、すばらしいなあと思う。そうだよなあ、と思う。誰かの論理の勝ち負けではないんだよね、紛争の解決ってのは。と思う。
どこで何が崩れるんだろうかと。紛争の中で巻き添えになっている子ども。でも、その子どもは大切にされているはずなんだ。どこで何が崩れるんだろうかと。ふと思いついて、Googleに単語を放り込む。「思考 文脈 建て方」。
Google先生は、実におもしろそうな書籍のレビューへと導いてくれた。栞をはさむようにブックマーク。

海を歩くために目を凝らす - 『哲学思考トレーニング』

弁護士さんと会うことに。わたしにとっては弁護士さんという肩書きではなく、一人のとても大切な人間関係の一人。昼飯食って、お久〜お久〜会話でもするつもりだったけれど、ちょいと出てきた話に「ああ、それなら会わせたい人がいる、アポ取ります取る取る」とどたばた。人と人が出会うのは大きい。紛争とは、解決とは、必要な状況とは。アグレッシブに会話が展開する一時間はとても楽しかった。
多忙な方々との小一時間。今のわたしが一番ヒマ。出先で時間が空く。本屋に行く。えーっと、最初っからこの本欲しいって目的がある場合、店舗ですぐに入手ってのが難しくなってるよなあと思う。置いてねーよ。アマゾン、だなあ。と思いながら、買いたい本を買う。偶然にも、紛争の先の自分なりの落としどころに向かっていく人間の小説に出会う。
twitterは、わたしはたくさんの人のツィートを追い切れないので、フォローはむちゃくちゃ最小限。フォローした人のツィートから他の人のところに飛んだり。そこでおおっとおもしろい偶然発見。紹介を受けてウチに電話くださったダウン症の子のママ発見。しかもこの方、むちゃくちゃご近所。まあまあこんなところでお会いするとは、お元気そうで。と思いつつ、沈黙。変なとこでリアル知人に会ったことを確認するより、ラクな方がいいだろうなと。まあ、またtwitterほったらかす可能性も高いしね。
しかしなんてステキな最小限フォローメンツ、と、勝手に思う。けっこう重い話題のツィートの間に顔をのぞかせてくるlegnum氏のツィートが、たまらなく面白い。
例えばコレ。

http://twitter.com/legnum/status/13901739813

コレがオレのツィートの合間に出てきてるのかと、わたしのフォローに入っているあの戦闘的な医師の人には是非笑っていただきたい。まあtwitterってのがそういうものなんだな、とも思う。