リツエアクベバ

satomies’s diary

「おいしい」は「しあわせ」

 「レミーのおいしいレストラン」観てきました。おもしろかった。ああ、おもしろかった。うん、おもしろかった。
 だからどうおもしろいのかってとこは。そうそう、というところをはてなキーワードのリンクから見つけたので、コレということで。

レミーのおいしいレストラン/ホームシアターとか映画とか日本チャチャチャとかの部屋

 ↑読んでて、うん、そうそうと思った。ネズミの扱いやレミーという存在の位置づけとか、またいろんな面があったレミーの葛藤とか。
 ただひとつ違ったこと。この方が吹き出してしまったとこで、わたしはすすーっと涙が出てしまったこと。
 「おいしい」を批評すること、特に「おいしくない」を批判することが重点になってしまって(いるかのように見える)料理評論家が、レミーの出す料理で小さな男の子の自分に引き戻されるところ。そこの映像の変化にびゅわーんと連れていかれてしまった。感じることのしあわせを取り戻す。「おいしい」って「しあわせ」ってことなんだよねと思うことを、固くなってしまった心がときほぐされていくような映像。レミーが葛藤のその先で、家族を仲間を友達を信じる心を取り戻したときに勝負として出した家庭料理。
 「おかあさん、泣いてたね」って言われて、あら気づいてたの?と。あのさあ、感じる気持ちって、だんだん固くなっていくようなとこ、あるように思うんだよね。でもふわっとやわらかいものを取り戻すみたいな感じのこと。そういう気持ちみたいなものの根っこのとこみたいなとこにさ、あのシーンでびゅわーんって連れていかれちゃったのわたし。
 ネズミが主人公になる映画で、サブの主人公になっていく男の子が、あまりにも簡単にロマンスに陥る相手がいるんだけれど。肩肘はってがんばってる女の子が話を聞いてくれるだけで恋に落ちるってそんな…、という安易さなんだけど。その女の子の「厨房という男の世界で女性が生きていく葛藤とがんばり」の吐露のようなシーンも記憶に残りました。