リツエアクベバ

satomies’s diary

毎日があっという間

 です、ここんとこ。肩や背中が日焼けでピリピリしてるかと思えば、雷雨にばしゃばしゃと打たれたりね。PC開くと、優先されるものを優先してるうちに、すっかり巡回浦島です。
 今日、息子の自由研究のために映画「十戒」をDVDで鑑賞。見終わってからどんどん箇条書きに思ったままの感想を書く。書いた後にそれをまとめて、感想と、そして映画に出てくるエジプトを、エジプト自由研究として記載していく流れだったんだけど。
 その箇条書きに書かれた感想の一文。「子どもを殺したのはひどいと思った」。そう、ホントそう。ほんと〜にそうだった。きつかったこのシーン。
 「イスラエルの民に自由を」と、モーセがファラオに言う。ファラオの返事は「NO」。奴隷は重要な労働力。そこで神は奇跡を起こして、ファラオに決断を迫るんだけれど。まあ何度奇蹟が起きても、なかなかファラオは首を縦には振らない。
 そして神は、ファラオ側の子どもたちを殺してしまう。ファラオが世継ぎの誕生だと喜んだ赤ん坊。その赤ん坊が死体となってしまう。その亡骸を胸に抱き、涙を光らせて「おまえたちの神は悪魔だ」と言うファラオ。
 このシーンで、即座に出てきた反応「子ども殺すことないじゃないか」と。でも最初にモーセも赤ん坊のときに殺される運命だったんだけど。運良く助かったシーンよりも、赤ん坊が死体になってしまったシーンの方が後に来ているインパクトもあると思う。
 もう全然「十戒」の線からそれちゃうんだけど。でも、きたね〜よソレ、みたいな。うちの息子は幼稚園のときにお友達の葬儀に出ていて、子どもが死ぬと周囲がどんなことになっていくのか、その記憶はかなり鮮明に何年も何年も生き続けているようで、こうしたことの反応は早い。
 それが戦争ってことなんだよ、と言いつつ、でも「子ども殺すことないじゃないか」にも大きく反応してしまうわたし。「神様がやること?」いや宗教ってのは戦争にずいぶん影響してきた世界の歴史ってのがあるからねえ、とか。
 何やっても言うこと聞かなかったファラオは、子どもを殺されて「奴隷を自由にする」と言う。子どもを殺すことのダメージの大きさ。
 それでもファラオは結局追っ手を出す。有名なシーン、海が割れるシーンに向かって。「自由にする」って言ったくせに。相手が神だとわかっていたのに。
 もうなんでもいいから、子ども殺されてそのまま黙っちゃいられなかったファラオ。ってことなわけで。「十戒」の路線はずれて、なんかそっち方向に引っ張られてしまいました。
 でもって、感情的な感想を整理なんぞして。そしてこんなサイトをもってきて映画に関して復習しましたとさ。自由研究終了〜。

やっぴらんど≫やっぴ的歴史映画≫十戒