リツエアクベバ

satomies’s diary

ちょっとふむふむ

 先日所用で数人で市場に買い出しに。帰りにランチしようねってことだったんだけど。行く場所の近くにデで始まるファミレスがあるから、って話にすかさず「やだ」と言ったわたし。とりあえず車停められるとこで飯、ってならいいけど正直言ってわざわざ行きたくない。そのときははははワガママなヤツだで終わっていて。
 いざ買い出しの日。ファミレスD店に「イヤ」と言ったわたしのために、「ちょっと足を伸ばせばすぐだから」と、横浜ベイサイドマリーナに行くことに。もうわたし、手をたたいて大喜び。うれしいなあうれしいなあ。
 で、ランランランチ。わたしはいわゆる奥様ランチ族ではないんだけど、ランランランチはやっぱり楽しいしうれしい。らんらんらんな気分で同行の方と向かい合って、あら、と思う。
 「今日のお化粧、きれい。」
 お洋服の色とコーディネートしたアイシャドーの色がきれいに映えて、とてもきれいだった。
 ここでわたしのお隣にいらした方が言う、正確な言い回しは思い出せないんだけど、要するに今日気合い入ってんじゃないのとかなんとか系のこと。ううん…と思う。そういうことってあんまり言われたくないことなんじゃないのかな、と。人によって違うかもしれないけど、わたしはこういうこと言われるとあわわと思う。すごい恥ずかしくなるというか。ちょっと気合い入れてそれがきれいなら、その結果だけでいいじゃんとか思う。そこでちょっと自分がもたされてしまった気持ちから脱却したい勢いをつけて、さらに言う。
 「すごく似合ってる、とてもステキ」。
 なんてことがあったんだけど。つまらんそんなことなんだけど、ngmkzさんのこのエントリにちょっとビビビ。つまらんことでもってきてゴメンね。

喰われる、と感じているとき/かへる日記 (FRGFRG304)
そう言うのって、(相手が)何らかの意図をもってしていたら、それが態度としての批判だったり評価になりえるけど、それが集団というものを利用し始めたらいじめの構造になりうる、って言うことまで意識している人は少ないだろうなぁ。

 ちょっとしたお化粧にね、がんばってんじゃないのなんてとこをすっと言われて、そこでさらに別の人間が気合い入ってんじゃないのクスクスなんて手合いを入れていったなら。それは相手にそれなりのダメージを渡されてしまうことだろうと思う。きれいなお化粧と華やいだ気持ちはすーっと冷えるよね、と思う。冷えない人もいるかもしれないけど。
 でも一発目のこういう言葉って、そんなには悪気は無いことも多いんじゃないかとも思う。小さなささいな毒はちょこっと含まれるのかもしれないけれど。どう発展するかのキーは、その言葉に対しての一発目の反応が握っているようにも思う。
 その小さなささいな毒にやられやすいときとやられにくいときってのもあるんじゃないかと思う。この小さなささいな毒をもらってしまうとき。これはこの「喰われる」って表現をもっていけるのかもしれないとも思った。
 さて別の場で。このきれいなお化粧の人がそこにいないときに、がんばってんじゃないの的発言をした方がこの方のこの日のお化粧の話を出した。とてもきれいだったよ、と。含みも何もなく、きれいだったと。そしてわたしに同意を求めてきた「ねえ」って。もうわたしはとてもうれしくなってしまって、「うんうんうん、きれいだった」と首ぶんぶん縦振り。
 そして、ああそうか、と思った。あのきれいなお化粧って、わたしが「D店ヤだ」って言ったところからきっと始まったんだな、と。そうかSはちょっと遠出の際につまらん店はイヤなのか、だったらベイサイドマリーナ連れてくか、と。そうやってきれいなとこに連れていってやろう、きれいなとこに行こう、らんららんらん、的な流れであのきれいなお化粧があったんだなと。そうか、わたしを喜ばせてやりたいってとこから始まったんだな、と。そう気づいてとてもうれしくなった。
 やっとここに気づくことに到達できたってのは、わたし自身もあの「がんばってる」みたいな言葉が自分の中に小さなトゲとして刺さってしまったんだろうな、と思った。そうか「喰われた」のか、ささいな一言に。と、思った。抜けてよかった、この小さなトゲ。