日中会議、午後帰宅。疲れたなあ、ちょびっと昼寝ぶっこいたろかと思いながらPC起動。RSS見てあらたこぽんがなんか書いてると読みに行く。ふうんと読みながらそうかあと思って。それから家電の子機もってきて携帯もってきて、ごろんと寝っ転がった姿勢で携帯のアドレス帳を開く。携帯のアドレス帳見ながら家電の子機のボタンを押す0033から携帯ナンバー。はっろ〜、元気〜?
なんだかんだしゃべってて。まあ結論なんてない話ももちろんぐだぐだ続きつつ、ってなんてとこもあるんだけどさ。
ああ、あのさあ、うちの坊やの中学の国語の教科書でさあ、なんて話。相手の状況なんてとこ無関係に、まあ「聞いて聞いて」の類の話なんだけど。あのねえ、とか言いながら、結局思ってることを言うのに口早になる。この、国語の教科書の文章の話、口じゃうまく話せないんだよね。口で話そうとすると、ホントに思ってることを言おうとすると口が変になる。泣きたくなっちゃうんだよね。聞いて聞いてと話し始めたくせに、だから結局どこかごまかしてぐちゃぐちゃ。そのくせやっぱ、話したい話なんだろうと思う。誰かに話してみる、ってのは実はコレで3人目3度目のチャレンジ。一度も成功してない。結局なんかぐちゃぐちゃになって、テキトーに切り上げる。
息子の中学の国語の教科書の話。全文はコレ。
読解のポイントのひとつになっている「母は初めて泣きました」ってとこ。はっきり言ってさ、こんなとこ中一の年齢でまともにわかるかよ、って感覚があるんだけどわたし。どうなんですか。
期末試験対策のお勉強をみてやりながら、この単元の全文を読む。彼のノートを見ながら、先生が読解のポイントのひとつとしてるのはここか、んじゃここはテストに出るのかと、ノートに書いてある授業内容を確認しながら(ううん…)と思う。思うけど、まあテストってものは作成者よりの教科書よりの読解やらなきゃならんからね。授業内容に沿った読解なんてのを確認させてやろうと思って教科書取り出してこの部分を読む。読んで。「母は初めて泣きました」ってとこで。授業内容がなんかありきたりのつまらん読解だと思ってたんだけど。でも、と思うと自分の読解の感覚が胸に迫る。
あのね、わたし、泣いてしまいましたよ。期末試験の勉強しようと思ってるとこでかーちゃんに泣かれたら困るだろ息子。だって泣いちゃったんだもの。
この「母は初めて泣きました」ってとこ、ノートにあるのはありきたりすぎ。そしてGoogleで検索して出してきた授業研究ではこんな感じになってたり。
え〜〜〜〜〜〜、そうなんですかああああ。わたしよくわかんね。
文字だったらさ、泣かずに言えるさ。あのさ、「母は初めて泣きました」ってのはさ、生きてたことを実感したからだよ。生きてたことを実感したからこそ、死なれたことがきちゃうわけだよ。って思うんだけどね、違うのか?
ずっと前に読んだ話。阪神淡路大震災のときのことだったように思うんだけれど。崩れた家の下敷きになったお父さん。火の手は迫る。お父さんの前で助け出せない家族たちに「行きなさい」と促すお父さん。そしてお父さんは火に巻き込まれて死んでいくんだけど。
このお父さんは子どもたちを追いやった後、ずっと妻の名を叫び続けたんだそうだ。呼ぶためじゃなく、ただ、妻の名を叫び続けたんだそうだ。その場にいなかった母に、子どもたちは長い間言えなかったと。つらくて言えなかったと。結局、子どもの配偶者が姑にこのことを話すんだけど。
自分の名を最期に呼び続けたこと。そのこと自体もそれはそうなんだけど。でもさ、思ったのはさ、この最期のそのときを妻が想像するときにさ、一番つらいのはさ、そのとき生きてたことを実感するからなんだろうなと思ったんだけど。違うのかな。
生きてたんだ、って実感しちゃうから、死んでしまったんだ、って実感させられちゃうんだと思うんだけど、違うのかな。
部屋を貸してくださっていた農家のおじいさんが、杉板を削って小さ な小さな棺を作っていてくださいました。弟はその小さな小さな棺に、母と僕の手で寝かされました。小さな弟でし たが、棺が小さすぎて入りませんでした。
母が、大きくなっていたんだね、とヒロユキのひざを曲げて棺に入れました。そのとき、母は初めて泣きました。
(大人になれなかった弟たちに・・・・ 米倉斉加年)
わからないけれど。苦境の中でがんばってがんばってがんばって。そして棺に入らない「大きくなっていた」我が子の姿に、我が子が生きていたという、そのとても単純な事実をつきつけられて。がんばりの線は切れるよな、と思うんだけどな。反戦の文章なんだから反戦でいいんだけどさ。でも人間のものすごく根っこの部分のようなとこ、そんな簡単に素通りするなよな、って思うんだよね。苦境自体の原因の是非に突っ走る前に、そういうこと大事なんじゃないかと思うんだけどな。