リツエアクベバ

satomies’s diary

傷だの痛みだの

 はてなブックマークからたくさんのアクセス、検索エンジンからは「乙武」「炎上」、そしてそれにからむワードの検索が、何もしなくてもどやどやと押し寄せている今日この頃です。
 トラックバック受信した ネットイナゴの恐怖/琥珀色の戯言では、謝罪に関してのことと、コンプレックスについて語られていまして。
 謝罪と保身に関しては、それはおっしゃるように仕方の無い選択なのかもしれない。ただし、前例や出来事としての展開というものを作ってしまうことに対してどう考えるか、という視点は必要だと思います。
 コンプレックスに関して、ですが。思い出すのは丘修三著「風にふかれて」の第五話「さかえ荘物語」。いろいろな人が住んでいる木造のアパートに、ある日新しい入居者が来る。車椅子使用で言語に障害もある。主人公の子どもははじめはこの人を怖がります。それとは裏腹に、大人たちはこの人に優しく、主人公の父親はなぜか共同募金の赤い羽根なんぞを胸につけたり、小さな影響なんてものが人々の生活に現れていきます。
 しかし空気が一変したのは、この人がある日、赤いぴかぴかの乗用車を手に入れてから。車がないと仕事に行けない、仕事が見つからない、ということで、支援者の人たちが探し回って用意した車だった。理由はどうあれ、この赤い車はこの木造アパートに住む人たちにとっては「自分たちには手に入らないもの」の象徴でもあった。この赤い車がやってきてから、今まで優しくしていた人たちは、なんだかんだとこの人の問題点を探し始め、「いてほしくない人」に存在を変えていきます。
 この頃には、最初は怖がっていた主人公の男の子は、この人に勉強を教えてもらうのが習慣になっていて、大人たちの変化に気づきながら、両親に「彼に勉強を教えてもらうんだ」堂々と宣言して、彼のところに行く、というお話。
 ま、結局ココなんだろ、と思う。コンプレックスというほど大きなものでもなく、単純に言って、気に入らない層、ってものがあるんだろうと思う。
 わたしは、といえば。五体不満足という書籍が有名になったときに、すぐには読みませんでした。いや、これだけ話題になったら自分が買わなくてもどうせ誰かが買うだろ、と思った。図書館に順番の予約するのも面倒で、どうせそのうち、どこの家でも「読んじゃった本」になるだろうと。そのときでいいかな、と思って、実際、そういうタイミングで読んだ。
 感想で言えば、時代の常識として知っておく本、というか。わたしにとってはそういう位置づけを超えはしなかった。個性としての華、キャラとしての明るさは感じるのだけれど、それを裏打ちしていくような人生が見えない。と、思った。
 発行部数も有名度も全然かなわないが、わたしとしては、以下の本の方が、思いっきり軍配が上がる。

神さまに質問―筋ジストロフィーを生きたぼくの19年

 進行性の難病、ということで、生活上の艱難辛苦が多いから、と言えるかもしれない。でも、どんな話題に関してもシリアスで過酷で、そしてそんな面を真正面からとらえ、その上でその先を見据えていこうとすること。そういう方が、わたしにはわかりやすかった。
 勝手なことを言えば、たぶん、「五体不満足」の方が、安心して読める本なんではないかと思う。そしてわたしは、安心して読める本には関心を持たないということなのかもしれない。
 五体不満足で、わたしが一番印象に残っているのは、雪の日にブランドものの洋服を買いに出かけていくところ。まあなんて無鉄砲な、なんてことがおもしろかった。ただし、ただしなのだけれど。こうした怖れの無い行動に出るという記述が多かったように思うが、それはどうしてなのか。素なのか、そういう姿を演じているのか、思春期不安のようなものが出てこないのはどうしてか、なんてことは思った。人に映し出される自分の姿は、紹介できるような話ばかり。しかし、障害があろうがなかろうが、人は成長の中で、自分を薄暗く映し出す鏡だって持っていると思う。それが気配すらしない本だった。
 それがどうしてなのか。それを検証しようと思わないのは、結局のとこ、わたしにとっては魅力を感じる本ではなかったからだと思う。
 乙武氏本人で印象に残っているのは。休日の昼だったかに、たまたまつけていたテレビで彼がゲストで対談をしていた。若い女の子のトーク番組で、彼は結婚したばかりだった。話題は妻のことで、妻のキャラに関して語られていて、具体的にどうと言えるほど覚えてないが、要するに「対話が成立しない相手」という話だった。常に問いかけたこと、話しかけたことに関して、とんちんかんな対応が返ってくる相手で、なかなか対話という形にならない、と。聞いているだけで、あまりにもボケキャラというかなんというか、妙に唖然とする話だったのだけれど、乙武氏は「そこを対話にしていこうとするのがなんとも言えず楽しい」と、しあわせそうに笑っていたわけで。
 2年前だったか、乙武氏のブログを見つけたときに、真っ先に探したのは、障害ネタでもスポーツネタでもなく、このときにおもしろいと思った話の片鱗だった。そうそう、コレコレ、コレはどんぴしゃで、そのときの印象の片鱗。

2002.10.30 とある休日/乙武洋匡オフィシャルサイト

 こうした部分はまちがいなく、彼の魅力のひとつなのだろうと思う。愛される人格と容貌というものを持っているのだと思う。でも彼の書くものをわたしが読む限りでは、彼には踏ん張るような無様なケンカができないのか、とも思う。それは彼の個性でもあるのかもしれないが、わたし個人の好みのような感覚にとっては、とても残念な要素でもあると思う。わたしは人間の持つ傷と痛みとを直視していこうとするものが好きで、無様になろうがなんだろうが、泥だらけの手でつかんでいくようなもの、というのが好きなのだと思う。
 そういう、わたし個人の乙武氏の印象というものからいえば、騒ぎが起きた途端としかいえないタイミングで出したあの文章は、らしいといえばらしいと言えるのかもしれない。コメントにケンカをしろとは言わないけれど、最初の文章も謝罪の文章も、自分の主義主張を明確に述べるというものには遠かったのではないかと思う。