リツエアクベバ

satomies’s diary

どうでもいいこと

髪を切った夢

 もう何年も長いままになっている髪の毛を切った夢。長さをある程度残して、と美容師に言ったはずなのに、仕上がりは肩よりちょっと長い程度。では後ろ髪は長いのかと後ろを鏡に映してみたら、前の方に長さを残した状態で、後ろはもう少し短かった。
 頭の後ろに手をやる。段がかなり入っていて、手に取った髪の長さは3センチくらいだった。指が感じる長さに、ただ呆然とする。
 なんだかとてもデザインのきれいな髪型に仕上がっていて、すっげ〜高そうな都会の真ん中の美容院でのカットのような感じ。似合ってないかといわれれば、それはしっくりもきている感じの姿。
 でも、ただずっと失ったもののことばかり考えている。あんなに長かったのに。もうきっとあんなには伸ばさないだろうと思うのに。この髪型はしょっちゅう美容院に行かなきゃ維持できないだろう、金も時間も食うんだろうなあこの髪型は。
 目が覚めて、夢だと知る。髪の毛の束をつかんでほっとする。10センチ程度切ろうかな、と思っていたら見た夢。美容師は出てこない。

記憶に残り続ける会話1

 友人というよりは、まあよく知っている知人という間柄の人との会話。この方に障害をもつ子の就学に関して誰かに相談したがって人がいるから紹介したい、と言われる。会ってみたら、とてもきれいな人だった。
 「あの人、とてもきれいな人だった。きれいね。その話、紹介ってときに出なかったね」と言う。いや単純に、どういう人か、という説明になんで出てこなかったんだろうと思ったから。
 それに対して「Sさんってきれいな人が好きね」と、変にトゲのある感じで返される。なんだ、なんなんだこのトゲのような感じは、と思いつつ、これは早々にいやそうじゃなくてとかなんだとかかんだとか、そういう答えを渡した方が得策のようだと思いつつ、なんかすごくめんどくさくて「好きだよ」と簡単に一言返す。そこから延々となんだかんだと聞かされる。人を見かけで判断するとは何事だ、的な話。
 なんでそういう風になっていくんだろう、と思う。きれいなものをきれいだと言ってよくても、きれいな人をきれいだと言ってはいけないのか、などと思う。何か、何を言っても通らない感じがして、子どもが説教されるようにただ話の終わるのを待つ。
 最近、ふと、あの時の対話の答えを得たような気がする。ああきっとこういうことだったんだろう。

けなすリスク<ほめるリスク/あんたジャージでどこ行くの

記憶に残り続ける会話2

 娘が中学に入った頃、子ども服を買わずに女の子の服を買うようになってきた、最近の若いお嬢さんの服はやたらスリムなものも多く、また長さに関してはトップもボトムも七分のものがけっこうあり、それなりに困らず、それに大変かわいらしい、なんてことを、まあダウン症児親仲間といっしょにいるときに話す。
 それはおかしい、うちはおねえちゃん(中3)もまだ子ども服だ、子どもには子どもの服を着せるべきだ、と一人に言われる。
 いやそれは好みとかってこともあるんじゃないか、普通の子は友達の中からおしゃれの情報なんぞ手に入れていくが、娘の程度の知的障害があるとそれも難しかろ、んだから母がその手の情報入れ先を担ってやってもいいと思うが、どうなんだろ、などとまあ持論なんてのを出すのだけれど、いわゆる「服の乱れは心の乱れ」的な話が展開していくような感じ。結局このときも、何か、何を言っても通らない感じがして、子どもが説教されるようにただ話の終わるのを待つ。
 最近ふと、この会話をよく思い出す。娘は中3も半分終わり、次年度から高等部にすすむ。制服はあるがいわゆる標準服というヤツで、式典以外着てこなくても特にお咎めは無い(らしい)。ただ、校内の風景を見ている限り、着てきてないのはスクールバス通学のメンバーで、自力通学をしている子はみなこの服で登校しているようだ。
 う〜ん、と思う。だって、ダッセーんだもん、この服。いやダサいというか、なんというか、要するに紺ブレ紺スカートという、あまりにも何の変哲もない、もうどうしようもない型どおりの服。紺の色も、なんというか、許せんような紺色。ほら紺って一言で言ってもいろいろあるじゃない。自分が制服として6年間着ていた服が、私学だったためかすっごいかわいかったし、紺の色ももっと「お品のある紺色」だった。なので、なんとなくアレ、どうしても許せん感覚があって、アレ毎日着せるのは抵抗大きいなあ、などと思う。来年「ダサいから毎日着せたくない」なんて言っちゃヤバイんだろうな。養護学校の制服には抵抗あるのか、なんて変な解釈されるコースになりそうな可能性もあるんだろうな、などと思う。この、そこはかとなく感じている抵抗感は、たぶんそのままでは理解されないのだろうな、などと思う。
 しかしだっさい服着せて登校させていたほうが、安心といえば安心かもしれない。知的養護に通う子はこういうつまらん服着せといた方が安全だろうとも思う。
 でもアレ、やっぱりなんか、やだ。毎日着せてたら、センスというものに関しての感覚を失うことを育てそうだ。華美でも凝ったデザインでも派手でもなく、ごく普通の服を着たときに出てくるセンスってのは大事だと思うし、こういう感覚ってのがわたしは好きだし、娘にも「娘」だからこそ渡してやりたいと思うんだけど、大元の価値観のとこで合わない相手だったら、もうどうしようもない会話になっていくんだろう。知らん顔して特に問題なさそなカジュアル系で通わせようか、と、ヒソカに思っている最近。

要するに

 はてな記法小見出しってのを使ってみたかっただけ。