リツエアクベバ

satomies’s diary

けっこんのこと

 けっこんのこと/うどんこ天気 からトラックバック受信。まあ驚いた、ここ、昨日だったかおとといだったか、どこかから(忘れた)飛んだとこだった。
 送信されたエントリをふむふむと読む。う〜ん、と20年くらい前に結婚について考えていたことなんぞをつらつらと思い出す。
 20代の前半だったかな、パート主婦を目の前にする、というか、という感じのことが仕事であった時期に、同僚と話す。あの人たちみんな結婚してるんだね、と。バカバカしい言い方なんだけど、そんなこと思ってた。
 好きだから一緒にいたい、なんてことのその先のことが結婚にはついてくるんだ、ってことがそれなりにうすうすわかってきた頃という感じで、いろいろ考えてたな、と思う。結婚って、そのこと自体にあんまり考えすぎないで、流れにのってしちゃう、って感じの方が、それはそれなりにしあわせなんじゃないか、なんてことも思ってたな。
 といいつつも、なんというか、それなりにしっかりいろいろ考えちゃうぞ、みたいな中で、それでも結婚ってヤツを紆余曲折の中でやって。生活ってのが始まったときに、ああいいもんだな、と思った。
 自分がこれから人生ってのを、この先もずっとやっていく中で、その隣にいる人間がいる。そういうなんというか、安心感だった。一日が始まって一日をやって、その終わりの中で、特に力も入れず会話なんてのを、まあそれこそめんどくさくない程度に交わす。それが親でもなくきょうだいでもなく、同世代の人間という、適度な距離感をもつ相手というか。まあ亭主に距離感、ってのも変なんだけどね。
 結婚ってのは、要するに、自分の部屋に誰かを住まわせられるか、ってことなんだと思う。これを自分がやれるのか、なんて不安感みたいなものは結婚前にあったなあと思う。まあそれはそれってとこで生活のフタ開けてみたら、対人関係の中で適度な距離感と同居感、なんてこう微妙な感覚において、価値観が似てるかもしれない、と思った。これってけっこう大事なんだろうな、と思った。居心地、という意味で、無理をしなくていい相手だった。
 そうか、と思ったことは、見合い結婚ってのも悪くないんだろうなってこと。自分はいわゆる恋愛結婚という流れではあったけれど、恋愛ってのはこの辺の相手との価値観が似てるか似てないか、なんてことは全く無関係に起きたりできるもので、恋愛関係が成立したからといって価値観変更なんてのはとても難しいことで。でも見合い結婚ってのは、この、いっしょに生活ってのをやっていける相手かどうか、なんて目線が最初にあるわけで、失敗はしにくいだろうなと思った。価値観の闘争が起こらない相手、ってものと結婚生活を送っていったなら、それはそれなりに愛情というものも生まれるんだろうと思う。恋愛結婚の場合も、この、生活ってのをやっていく上での価値観の混乱が起きない相手、ってのは、恋愛感情はゆっくりと流れ続けていくような気もする。
 子どもは二人とも立会いで生んだのだけれど、二人目の子どもを生んだときに、生まれた赤ん坊は対面したあとに新生児室に連れて行かれて、分娩室に二人でいる時間というのがあった。
 そのときに思ったこと。この人と知り合う前は、お互いにその存在すら知らなかった。その存在すら知らなかった相手と、こうやって、共通の歴史が積まれていくのだなあ、と、そんなことを思った。
 来年の1月25日は、20回目の結婚記念日になる。積んできたなあと思う。そして来年の1月25日は姑の初めての命日になる。姑が息を引き取る瞬間、その場にいっしょにいたこと。そんなことも共通の歴史ってヤツなんだなあ、と思うな。
 ちなみにこの、トラックバックを送信されたブログ、わたしはこのエントリがすごく好きです。

「すき」って聞くと、信じる事ができる訳無いよって思ってた /うどんこ天気 

 って、あらま、再度確認したら、トラックバック送信記事が出てこないわ。まあいいや、あげとこ。