リツエアクベバ

satomies’s diary

オトモダチに会う

「20日の午後、空いてるか」と、半月ほど前に突然メールが入り、友人二人に会う。おひさおひさが積もり積もって、顔見て話すのが四半世紀ぶりくらい。自分も相手も若い子たちだったのが、オババババオババ会の開催です。
おいらさー、娘生まれてからいろーんな世界が変わったりいろんな価値観がどんどこどこどこどんどこどこどこ展開したみたいな感じになって。いやもうとにかくいろんなことがあっていろんな壁超えていろんなことしゃべって考えてもろもろもろもろあって。なんかそこより前の自分がどんな風にできていたのか、いつの間にかよくわからなくなった。古い友人より、どんどん新しく開けていく「今」を話せる人間関係の方が大切な年数があったなあと思う。
ごく普通の子どもが生まれていたり、ごく普通に普通の世界の中で生きていたり。そんな中で「自分の時間を有効に使える」時代がそこそこやってくるのが40代くらいからなんだろうと思うけれど。この頃からいわゆる同窓会みたいな話は多くなってきた。ただ、なんつーか、娘を人に託す手配をしてまで行きたいところも無かったんだよね、正直。めんどくさかった。うちの娘に知的障害がある、ってことが、相手にとっても「ものすごく日常的なこと」という関係の間柄は楽なんだ、とても。古い友人はちゃんと知り合って人間関係築いた人で。でも自分にとっての大きな展開の前の人で、しかもその「大きな展開」とはノータッチでいる人っていうのは、なんかビミョーに、どこかで自分が変な感じになるというか。ねー、この複雑なもにょもにょ感っての、わかるかなあ。わたしの「今」には色がついてるんだけど、その色はわざわざ見せてどうこうってものでもないんだけど、でも自分の思考にも興味にもその色は染み付いているわけで。でもその色とは無関係に人と接するのが、まあ、わたしは変な感じがあったというか。これ人によって違うんだろうけど、わたしはいろんな手配して時間作って、って労力使ってどうこうするほど、自分には魅力を感じるものでもなかったというか。ああわかりにくい、ぐちゃぐちゃぐちゃ。まあそういうこと。
今回は、そういうモニョモニョ感とかぜんぜん無かったの。ただ単純にワクワクして、わあうれしいなあって思ってたなあ、この二人に会うの。なんなんだろね、こういうの「好き」ってことなのかなあ。会ったら体当たりハグしてきやがって、あははとかも思った。
会う機会がなくて20数年経ってるから、お顔の表面がちょろちょろと加齢よね。ただしゃべってて顔眺めてると、しわしわが自分の目から消えてくのね。しわしわが全部消えて、ああコイツだなあ、コイツと会ってるんだなあと、そのこと自体を単純に味わってた。ふむ、いい一日でございました。