リツエアクベバ

satomies’s diary

いやいやいや、これはこれは、あれだあれ

 ■[society][think]配慮を強制されるときに感じる違和感とは〜障害者とのコミュニケーションをめぐって/忘却防止。

 ふむ、まあもっともだ。もっともなんですけどね。ふと思い出して、自分の過去記事を検索。

 知的障害があることが、事件・事故の原因ではない。
 知的障害があることからくるコミュニケーション不足が「出来事」を「紛争」化させる。
 知的障害を持つが故にコミュニケーションがうまくいかないことが原因なのである。

 ↑では知的障害について語っているけれど、障害とその背景、なんてことに対してのコミュニケーション不足というか、情報不足ってのがあるんだろうなと思った。
 もともとの話題としてのリンク、<車椅子転倒>TOTOのショールーム−−問われるユニバーサルデザインですが。この報道、かなり印象論をかきたてていくような書き方をされているな、と。特に最後の「」で出てくる言葉群ってのは、けっこう刺激的ですよね。ここで報道された事故を語るのにはとても余計。印象論をかきたてる報道、ってのの地雷部分ですね。
 事故に遭われた方、障害のある状態で危険がある場所にわざわざ出向いたのではなく、ユニバーサルデザインショールームに行かれた、と。このショールームにとっては、対象となる「お客」ですよね。モニターを使った研究などもされている、招かれざる客ではなく、招く対象としての「客」。国際シンボルマークも提示している。
 そこで商品を見るために行く。そこで前回の訪問時に「この建物の段差の構造は危ないよ」と伝えている。単なる否定ではなく、車椅子の客が来れば当然必要になってくる段差の介助に対して、「介助が必要な場合は必ず介助者の一人が車椅子の後ろを支えるように」と、具体的に伝えてもいる。障害者のモニターを使って研究している商品のショールームで、この注意の引継ぎというものは、されているはずだ、と思ったと思う。しかしその注意は、そのショールームでは、事実としては「聞き流された」わけですよね。きちんと引継ぎが行われていれば、起きなかった事故でしょう。「後ろで一人支えてください」ということ、これはさして専門性など必要ではないでしょう。聞いたことを理解する能力と、引継ぎの必要を理解する思考があればそれでいいこと。
 業務用のシュレッダーで幼児が手を切断してこれだけ大騒ぎになるわけで。業務用と幼児、この隔たり。それに比べて、障害者とユニバーサルデザインショールーム。しかも、以前伝えたはずのことが無視され、事故が起きた、と。後者の方がでかいというか、ヤバイというか。とは思いますよ、わたしは。
 ま、どうすりゃよかったか、というと、「注意を伝えたことは生かされると信頼してはいけない」という前提のもとで、介助を頼むときに「すみません、後ろを支える介助をお願いします」と丁寧にお願いしなければならなかったんでしょう。信じるな、ってことでもありますよね。
 それがユニバーサルデザインショールームで、ってのが、なんというか、なんとも悲しい話だなあ、とも思う。失った能力も大きい。そしてこの事故で、この方が中心となって活動されていた「脳脊髄液減少症の公的認知」も遅れる可能性はあるでしょう。保険適用を認められていない10万人以上の方々が、この方の背景には存在する。
 この事故に大きなため息をついた人も多いと思う。それが「聞き流された注意」からくるもの。相手を、ユニバーサルデザインショールームという場を信じてしまったことからくるもの。
 まあもともと、ショールームの入り口には段差が無いと自社サイトに出しながら、入り口に段差があるショールームが存在する企業、ってのは信じちゃいけなかったってことかもしれない。
 その事実が印象的な報道によって、権利意識を振り回すという風に受け取られていくのは、気の毒だなあ、とも思いますね。権利意識を振り回して、いるのかなあ。
 ここからは全くの推測ですけれどね。報道やインタビューってのは、ここ取ってそうやって組み合わせるか?って感じのまとめ方をすることはよくあるもので。モルモットという言葉を出した最後の数行は、かなりその類がにおう部分ではないかと思いますよ。まあ、商品開発のモニターは依頼しても、それ以外に関しては耳が無いの?という実感は、この方の心情に大きく影響したと思いますけどね。