リツエアクベバ

satomies’s diary

半熟卵の炎上雑感

 Lsty氏のブログ「他人の不幸は蜜の味」の炎上に関して、彼のサブブログ「あんたジャージでどこ行くの」で、彼がこの襲撃について語ったいくつかが、「火に油を注いだ」という内容の文章をいくつか読む。
 ああ、そういうことになるのか、なんてことを思う。ただ単純に思うのは、彼は彼がいつも自分のブログで述べているように(ということなのか、わたしがコメントのやり取りによって理解しているLsty像というものなのか)「彼は自分に興味がある」ってことがキーなんだと思う。自分に興味がある、自分に起きていることに対して自分がどう思うのか興味がある。そういう目線というものを彼はいつも持っているのだと思うし、それをコツコツと書き残し、積み上げていっているのが彼のブログなんだと思う。だからわたしには、この流れはあんまり不思議には思わなかった。個人ブログで出している「Lsty像」としては、自然な流れなんじゃないかと思った。
 「謝罪」という言葉がいろんな層にいろんな意味をもって飛び交っているけれど、これもよくわからない。コメントを入れた会社の担当者に対しての返答に関しては、丁寧に述べて、その上で「よりわかりやすい表記を」と閉めた。え?これ悪いの?と思う。買ってみなければわからなかった状態だったのだから、表記して欲しいと思ってもおかしくないんじゃないかと思う。これはわたしは彼のイメージする半熟卵を「温泉卵との勘違い」とはとらえていなかったということがあると思う。
 「半熟卵」と一言で言っても、その人が持つイメージは、ちょこっとずつ違うと思う。半熟卵ってのを調べようとするときに、男たちはウィキペディアや辞書を使う。これに実はわたしはちょっと驚いた。半熟卵って、料理だよね。下記リンク、まあおいしそう。

 Google半熟卵イメージ検索なんてのをかけてみても、なかなか楽しかった。話題に出た半熟卵という製品も、パッケージに写真はついていたものの、その写真と中身は違うよと言ってらっしゃる方がネット上には存在するので、「よりわかりやすい表記を」という言葉が出てくるってことはアリだと思う。
 会社というものに関して持った興味は、商品化時のマーケティングのデータ。半熟卵という製品だけでなく、電化製品のゆで卵器というものも、そのスイッチの設定にマーケティングの調査をくり返すだろうと思う。そのときの半熟度合いというものを意味する、一般から抽出したであろうデータとはどんなものだったのかな、ということ。
 うちで使っている家庭電化製品としての「ゆで卵器」は、実に単純な作りなので15年以上経過してると思うけれどまだ立派にその役目を果たす。今回のことで「ほうなるほど」と思ったのは、このゆで卵器のスイッチの表記。ゆで卵に関しては、かため、中、やわらかめ、となっていて、「半熟」という言葉を使用していない。「半熟」という言葉の定義の曖昧さを上手にかわしていると思う。(ちなみに温泉卵のスィッチは別で、温泉卵を作る場合はセットする水の量も変わる)
 対応としては、「見える形でコメント」を選んだのだから、その結果を引き受けるべきは会社なわけで、どう扱ったか、それがどう発展していったか、ということの結果は、会社の今後の対応に関してのデータとして処理される問題であるよな、とも思う。心情ではなく、結果対応。
 襲撃される方々に関しての感想としては、ずいぶん過去記事のページを繰ったんだな、ということ。これは夏休み、そしてお盆明け、ってのは関係しているのかな。ふ〜ん、これはこれでおもしろいなと思ったのは、「あんたジャージでどこ行くの」の「しおらしい男」というエントリが無傷であること。これだけ別のエントリをばばばと開いていくのなら、閲覧はあったと思うのだけれど、無傷であることにへえって思った。