リツエアクベバ

satomies’s diary

はてなブックマーク更新

 6月23日更新分
 驚いたわ、驚いたわ、この人まだいたんだ。そしてまだ立ち続けているんだ。人の記憶に残り続けているんだ。そうか〜〜、と、関連するもの片っ端からクリップ。

東京在住の人なら、一度くらいは「私の志集」と書かれたボードを首からぶら下げて、駅の構内などに立ち、何かを売っている人を目にしたことがあるかもしれない。
「志集」というからには詩を売っているのだろうと想像できるが、買ったことのある人は少ないはずだ。雰囲気的に近づきがたいものがあるし、宗教だったら困る。わずか数百円とはいえ、わけのわからないものに金など使いたくないってのが人情。かつてよく見かけたころは、ぼくもそう思っていた。好奇心にかられることはあったけれど、買おうと思ったことはない。
 でも、見かけなくなってみると気になる。なにしろ、あれがいったい何なのか、どんな人の作品なのか、誰に聞いても知らないのだ。

 そうそうそうそう、と思いながら夢中で読む。そうかあ、そういう人だったのか、あの人。
わたしがよく見ていたのって、いつ頃だっただろう。20年近く前だったと思う。新宿の西口の地下鉄丸の内線の乗り場に向かう地下通路の入り口になる階段のところの右端に立ってた。そこに存在する不可解さの中で、意志を通すような主張のオーラのようなものをまっすぐに放ってた。(なんだこの人…)って簡単に言っちゃうには、あまりにも強烈だった。
 周囲で「ああ、知ってる知ってる」って感じではなくて、知ってる人は知ってるけど知らない人は全然知らない存在という感じだった。
 そうか、買えばよかったのか。買えばよかった。ただの記憶の中に存在するには濃すぎるんだ、あの人。
 そして上記のリンク先の方は、同じことをやってみている。

「私の志集」売りの無表情かつ説得力のある雰囲気は、一朝一夕に醸し出せるものではない。

 そうかあ、そうなんだなあ、なんて思いつつ、この引用の表現だけでなんだかコーフンする感じ。そうなの、あの「無表情かつ説得力のある雰囲気」ってのが、記憶に残るんだよね。今、わたしの頭の中に、まっすぐに立つ彼女の映像が、歳月を超えて存在してる。

 いや〜、もう、はてブのお気に入り開いてぶったまげ、よ、ホントに。寝太郎さん、大きく感謝。はてなブックマークに感謝。そしてインターネットというものに感謝。