リツエアクベバ

satomies’s diary

昨日見た夢

夢というものは、朝起きたときにかなりはっきりとした記憶があっても、数時間たつとたいがい忘れてしまう。起きたときはなんだか鮮明な記憶にいろいろ考えたりしているのだが、たった数時間でそれがなんだったか忘れてしまう。そんなことばっかりなんだけど。
昨日見た夢の記憶ははっきりしている。半日たってもはっきりしている。なんてこともない夢なんだけれど、パソコン開いたついでに記録しておこうかなと思う。日記だし。
誰かの葬式があった。気持ちを強く動かされるとかそういうことではなく、なんか町内の役員だか元役員だかのじいさんが亡くなったかとかいう、そういう感じのやつだった。横浜の中の田舎と都会の中間みたいな中途半端なうちあたりでも、最近は家族葬が増えた。葬式というものは元々、知ってる人が亡くなったらお別れに行く的な参列があったものだと思うのだが、どこまで知っている人かうんぬん的なラインも昔より上がったような気がする。そんな感じで、そうかという感じの、わたし自身が喪服を引っ張り出すわけでもないような、そんな葬式だった。
あ、そうだ。と思った。うちに処分したい植木鋏があったんだった、と思った。ガーデニングとか華道とかで使うような小さいやつ。ここからがまさに「夢」という勝手なフィクションの世界なんだけれど、この夢の世界では「誰かの葬儀のときに、使わなくなった植木鋏を奉納とかいう形で回収するコーナー」が存在する。このフィクションの世界の住人であるわたしは、葬儀があるのを横目で見て、さも常識であるかのように思い出し、鋏をもって会場に行った。
よく催し物で外に出ているような、長い机があった。そこに鋏が上下をそろえていくつも並べてあった。そこにわたしは鋏を置くと、うちと親しくしている(というか舅姑の代から親しくしている)近所のおじさんが、神妙な顔をして傍らの用紙を指した。そのおじさんは町内会の役員をしていて、近所のじいさんの葬儀によく手伝いで出ている。この日もそんな感じで、目線でわたしにその用紙に何やら書けと目線で指示をした。
たいしたことない紙質の適当な大きさの紙が、ばらっとその机の上に載っていて、そばに鉛筆が何本かあった。名前を書くとかそういうことだったような気がするが、その辺の詳しいことは覚えていない。名前となにか数行だったような気がする。たいしたことない紙質で、たいしたこともない内容のことをざらっと鉛筆で書く。その程度のもので、ぐちゃぐちゃと適当に書いた。
ふと気づくと、周囲には大人の男の人が何人かいた。自分だっていい加減いい年齢なんだけれど、「大人の男の人」と言いたくなるような人が周囲に何人かいた。その何人かは長い机に鋏を置き、さらさらと鉛筆で書いてそこに置いていった。「大人の男の人」たちは、みな美しい文字を書いていた。ぎょっとして自分の手の中の紙を見たら、情けないほどぐちゃぐちゃの適当な文字列があって情けなかった。
ちゃんとしてなきゃ。いつもちゃんとしてなきゃ。こういうときに「お育ち」みたいなものが出るんだ。こんなの出せないじゃないか。すごくそう思った。文字はいつも丁寧に書かなきゃ。いつだってそう思ってたのになんでこんなことになるんだろう、と、すごく自己嫌悪だった。
わたしは「書く文字」というものに、昔からものすごくムラがあります。丁寧にそこそこ大人の女の人の文字も書ける。しかし気を抜いた文字は、クソひどい。アベレージがちょー高い美しい文字を常に書ける人っているじゃない。そういう人にすごくコンプレックスがあるような気がする。しかしなぜ、今更、こんなに大人の年齢になって。もうおばさんじゃなくてばあさんが近づいているような年齢になって、いまさら文字がどうのという夢を見るんだと。人間の頭の中というのはすごく不思議なものだと思う。変な夢。