リツエアクベバ

satomies’s diary

駄文にゅうすに被リンク

駄文にゅうす4月18日更新分
◆ 基本的なことができない人を相手にする商売ってことなんだよね (S:今日の一言) 【S嬢のPC日記

 ブログ名二つ並べてリンク先出していただきまして。これ、この話出してるのが「どこの誰だか」ってことを追記していただいているようなもので。ピックアップする方のピックアップの仕方というものは個性が出るものだと思う。こういうのを見るのはおもしろい、と思う。
 しかし、同じ欄に出てくるものをつらつらと眺めるに、自分、なんてセンスが無いんだろうと思ったり。つまんないよ、ブログタイトル。
 同じページにリンクされているブログのブログタイトルなんてものを見つめる。エントリタイトルではなく、惹かれたブログ名で飛んでみる。ここで惹かれたブログタイトルは二つ、「一本足の蛸」「まなざしの快楽」。
 「一本足の蛸」、ブログトップに「一本足の蛸」の話が出てきていて、ふむふむと読む。ブログタイトルってのは、プロフのようなものだと思う。「一本足の蛸」という言葉を選ぶ人が書いている文章、などと思いながら読む。この前文が表示されるブログは、その場の安楽なコミュニケートのために持論を変えたり視点を変えたり、ってことはしないんだろうな、と、ブログタイトルから生まれる信頼。
 「まなざしの快楽」、ここ飛んでみて、このブログタイトルには”〜「薄氷のコミュニケーション」の章”というフレーズがくっついていたことを知る。わあ、これもすごいなあ、と思う。これは何を意図してついたフレーズなのか、このブログの歴史の推移なんてものがあるのかなあ、と思う。この人、どんな人なんだろうと興味を覚えてプロフに飛び、画像クリックで思わず見事なオッパイの画像なんぞをクリックしてしまう。オッパイの画像で飛んだ先のエントリは、オッパイというよりは漢字いっぱいで、瞬間、例えば遊びに行ったら問題集を目の前につきつけられたというような、勝手に感じる変な脅迫観念を振り払いながら、一生懸命読む。そして”「断絶」を閉じる欲望が「断絶」を開く”というフレーズを味わう。
 どこかの被リンクで知ったという記憶があってそれがどこだか忘れてしまったのだけれど、そのブログタイトルのものすごいインパクトに目が点になって。そしてその命名センスにある種の敬意を表しているところがあって。
 ふとそのことを思い出して、ブログタイトルを入れて検索し、そのブログに行き着く。行き着いたところで大笑い。思い出して検索するわたしをまるで待っていてくれたかのように、最新記事が「サイト名の由来」を書いたものだった。ふむふむ、ではなくうふふ、と読みつつ、それからこの記事読んで意味も無く拍手をしたくなった。(ブログタイトルは←のリンクに飛んで、自分で確認してください)