リツエアクベバ

satomies’s diary

娘自慢

 娘自慢。
 軽い眼瞼下垂。上まぶたの筋肉の力が弱い。くっきりというほどではないがテキトーに二重で、この眼瞼下垂が容姿に影響するほどではないのだけれど、それでも上まぶたの筋肉の力は弱い。っつ〜ことで、顔より上のものを見たいときはまぶたを上げるのではなくアゴを上げる。つまり目の位置をアゴの位置の調節で変える仕組み。
 コレが「人の表情を見る」ときにはやり方が変わる。自分の顔の位置より位置が高いところにある人の顔の表情。小首を傾げて、つまりアゴの位置を斜めに上げて、下からすくい上げるように見る。コレがまた、もんのすごい生意気そうな表情を作る。
 「アゴを上げて上を見る」場合は、やってみればすぐにわかると思うけれど、口がぽかんと開くわけで、「小首傾げて下からすくい上げるように見る」場合は「口元に様々な表情を作れる」。
 この「小首傾げて下から救い上げるように見る」場合の口元の表情は、ものすごく雄弁でおもしろい。人懐っこい笑みから薄笑い、半笑い、そして口元にきっと力を入れて不満の表情も出てくる。一瞬にして「意思」の傾向が読みとれる。
 彼女の笑顔に「柔らかな愛想笑い」というものは少なく、たいがいが生意気そうなもので、周囲の人々はそれが彼女の「標準」と認識し、たまにとびきりの笑顔をストレートに向けられた人間は、もうそれで「やられて」しまう。それで「やられて」しまった人は、「ちぃちゃん、ちぃちゃん」とやたらにコールするのだけれど、そのやたらにコールする人たちは、そのコールに対して「生意気そうな一瞥」を向けられても、それが「標準」と認識しているので気にもしない。ああコレは、もしかして、一部で言われている「ツンデレ」というものなのかしら。
 そうやってエラそうにしてるくせに、学校では教室に入るときには「おはようございます」と言って入るんだそうだ、「ございます」と。そして教育活動の中での教員の声かけには「はい」「わかりました」と、きっちりですます調を固持。普段ろくにしゃべらないくせに「わかりました、先生」なんてことまで言ってのけるそうで。そうやってはっきりとわきまえてるのがわかるだけに、エラそうムードのときに文句のつけようがなく、エラそうムードを「あはは」と受け入れられる土壌を作っているのだと。
 家庭でも、「標準」はエラそうだけれど、生意気な一瞥なんてものはしょっちゅうだけれど、要所要所では返事は「はい」。「わかりました」なんてこともよく言う。まあ、わかりきったことを言われるときは、「バカにすんじゃないわよ」的な一瞥をきっちりと食らわせられるのだけど。
 うまいなあ、なんて思うこと。人に対して正面から愛想笑いなんぞでアプローチはしない。他者といっしょにいるときにでも、人の気持ちがふと「個」になったときに「気づけばそばにいる」という感じ。そしてすっと小首を傾げて相手を見上げる。このときにあからさまな笑顔なんぞは向けない。まっすぐに相手を見る。直球で相手に飛びこもうとしているかのようだ。こういうシーンを見るときに思う。人の心に入っていくポイントなんてものを、なんだか知ってるみたいだ。
 そういった彼女の持つ個性。彼女本人とそれについて語り合うことはできないし、何を思っているのかは本当のところわからない。でも賢いなあ、賢いなあって思う親バカ。ってだから何? だからさ、娘自慢ですって。