リツエアクベバ

satomies’s diary

わ〜い誠天調書にリンクだ〜

誠天調書 2008年05月18日

誠さん、おっす〜。お久しぶりぶり。
と、ご挨拶しつつ、被リンクのこと。

この順番でリンク並べたことに、そうよねええ、って思った。そうそう、教室出たって社会に出てからだって起こりうるんだよね、そういう相手との遭遇ってのは。社会に出て、相手の方がそれなりに位置や立場をもっているときは「センセー、あの子がねえ」なんてことは通用しない場合だって多いんだよね。通用する場合は、被害よほどのことになっていなきゃ、ってことになってるというところもある。
だから。どういう風に対処するかってときに、必要な耐性が現在本人にあるかどうか、ってとこをわたしはまず見たい、と思う。そしてその必要な耐性がまだまだ育ってないとしたら、そこをどう育てていくか、ってとこもあると思う。対処や仕返しは一回こっきりかもしれないけれど、自分の個性とそのやっていき方というものを知ることの方が、その後の人生に収穫があるんじゃないかと思う。
親が子どもの社会にまだちょびっと程度、手が出せる時期は。相手のとこ行って、こんにゃろこんにゃろ、って。ほらおかあさんどうだ、って。それじゃ子どものスキルは育たんだろ、ってのもある。まだちょびっと程度手が出せる時期だからこそ、背後でその肩を支えてやりながらできることってあるはずだと思う。
かーちゃん出ていって相手の手段に対して、こんにゃろこんにゃろ、ってのが出来たとしても。相手の気持ちに対してのソレはできないんだし。毒をもつ気持ちが相手にあれば、ひとつの出口をふさいでも、毒の出し方の手段や出現の仕方を変えるだけだろうなとも思うしね。
他者から渡されてしまう毒ってものに対してのスキル。コレ、難しいと思うのよね。わたし自身だって、坊やにエラそうに「かーちゃんはな」なんて言えないよ、そんなにたいしたモンとも思えない。人間が多種多様に存在する世の中なんてものは、人間関係の毒の行き来ってのがそりゃよくあるものよ、ってのが現実的なとこなんじゃないかと思う。
でも。かーちゃんはかーちゃんだからな、オマエよりよっぽど長く生きてる分、そういうスキルを身につけようとやってきた年数も長いんだよ、エヘンと。そうやって空威張りしながらも、わたしは坊やにそうしたスキルを身につけて欲しいとは思うよね。出会う相手のコントロールはできないけれど、自分に内在する力を自分で育成していこうとすることは出来るはずだと思うからさ。いつか手を放すんだし、順番で言えばわたしの方が先に死ぬんだからさ。
でもって、誠天調書のリンク。「情報リンク元は nni's blog 様より」と記載アリ。nni様、いつもご紹介ありがとです。