リツエアクベバ

satomies’s diary

最近のワタクシ

 本棚から引っ張り出して、こんな本を再読しております。

障害をもつ子を産むということ―19人の体験
野辺 明子 横尾 京子 加部 一彦
中央法規出版 (1999/02)
売り上げランキング: 79,351
おすすめ度の平均: 5
5 きれい事ではない、せきららな体験談。
5 他人事・・・ではありません。

 なんでか〜っつ〜と、再度ふり返ってみたい、なんて思うとこ、あるからです。それと、一度受けた診断に加えて、さらに診断が加えられていくときの心境、そしてそれを乗り越えていく心境、それを支える日常、なんてものに対して再度関心を持っている、いたいという感じ。
 さらにこんな本。

ひざまずいて足をお舐め

 山田詠美の半自伝的フィクション。これは文庫版ではなくハードカバーで、しかも初版本で持っていたものを、転居のときに手放しました。持っていればよかった、などと最近思う。
 この本の内容に関してふれた話を、まっち〜へのメールに入れたことアリ。しかし、わかっているくせに「どんな本に書いてあったか忘れた」なんぞと嘘ぶっこきました。この本相手が知ってりゃいいが、もしも知らん場合には、タイトルがタイトルだけにね、必要な話に妙なイメージが付くな、と思ったのがその理由。いろんな人生がてんこ盛りで出てくる中で、主人公が姉のように慕う女性の体験談として、「父親と祖母がせっせせっせと母親に対しての奴隷的イメージを子どもに対して刷り込み、子どもは母親を忌むべきもの、奴隷的存在、と、認識していく」というくだりがある(ちなみにこの挿話は、この刺激的なタイトルとは関係がありません)。まっち〜んとこのコレ読んで急に思い出した。近いうちに再読したい。
 本棚に残してあったはずなのに見つからない本。

吉行理恵詩集

 吉行理恵の訃報にふれ、どうしても「青い部屋」を再読したくなってさがしているんだけど、見つからない。ここでさわりだけふれて、吉行理恵を読んでいたころを懐かしむ。何ものかに対して怖れ続ける微妙な震えのようなものを静かに、そして痛みのようなものをささやきのように、それでいて強烈なものをこの人の書くものから感じていたのだなあ、と懐かしむ。世間一般の規範からマイナスに見えて、しかし強烈な自己防衛のようなもの。
 この人の文章には猫が出てくるものが多く、猫を飼い始めたときに出会った人だったなあと思う。二十歳になりかけの頃だったな。
 吉行理恵の「小さな貴婦人」は、本棚のすみから発見。再読しながら、(この人の文章を読むには、わたしはとてもせっかちで現実的になりすぎたな)なんてことを思う。これも結局は、年を取ったということなのかもしれない。
 しかしわたしの本棚は、障害系と医療系の本が増えて、本棚自体がなんだかつまらん景色のものになった。障害系の本は初版で絶版ということが多く、早く買っとかなきゃ、なんてあせって買った本が多かったのがその理由。そんなのが本棚を占めていったから、追い出された本がけっこうあったわけで。
 子どもがとりあえず大きくなってきて、娘の障害への対応もそれなりに理解、そしてわかってきたところがあって、そうやってそんな流れになっていくと、母親でなかった頃に聞いていた音楽が懐かしくなり、そして母親でなかったころに大事にしていた本に再会したいな、なんてことを思う最近。
 姑逝去で義妹の子どもたちがウチに宿泊していた頃、ふと思い出して本棚から引っ張り出してきて中一の姪に読ませたコレ。

綿の国星 (第1巻)

 所持してから20年以上という歳月の流れの中で、すでに紙が変色している本。でもその魅力は色褪せてはいず、一巻に始まり、そのまま怒濤の勢いで全巻読破した姪。そして会話。こんな会話を姪ではなく娘とやりたかった、なんてことはもう思わない。娘は娘、そしてわたしの娘はこの漫画を読まなくったって、読めなくったって、チビ猫が持っている宝のようなものをもう持ってるし、それに気づいていった自分をちょこっとほめてやりたい。