リツエアクベバ

satomies’s diary

今日は「引き取り訓練」

 今日は小学校の引き取り訓練実施の日。事前にお知らせがあり、当日校外委員会からの連絡網が各家庭に入る。そしてあらかじめ指定された時刻に、学校に子どもを引き取りに行く。
 例年ではこの練習の引き取りのための理由は「暴風警報発令により」ということだったが、今年は「付近に不審者が出没したため」ということに変わる。連絡網を次の人に回すと、学校がいかに曖昧なことをやっているか、危険なんて防げない状態なのに、と、そんな話を延々と聞かされる。そう、まあホントもっともなことなんだけど、これは練習とはいえ緊急連絡網なんだけどな、とちょっと思う。
 聞き方が曖昧だったためか、軽く食ってかかられる「ちぃちゃん一人で歩かせてるでしょ?心配じゃないの?」。
 いや、心配ですよ、心配です、心配だけどね。でもね、あの子の場合はそこに大きな覚悟を持っていなきゃ、本当に心配で危険過ぎて何もさせられなくなってしまう。普通の子のように「年齢上がれば自ずと自己管理能力がつくだろう」なんてことはないわけで。それより経験積み重ねることのメリット、そこを回避するデメリット、なんてものもあるわけで。恐怖の天秤と覚悟なんてものがいるんだよ、なんてことを話す。
 と、連絡網なのに、結局自分も話す。娘の障害が当然の事実として存在していて、それを前提にその先の話ができる地域環境、というものは、あらためてありがたいな、とも思う。
 学校に向かう。学校の近くで、息子の学年の母親二人連れに話しかけられる。話しかけてきた人の連れの「危険に関しての演説」が始まり、ふと気づくと話しかけてきた人が消える。(はは〜ん、押しつけたな)と思う。
 この人、いわゆるいかにもPTAという一般的なイメージ通りの人で、この手の演説が得意。得意なんだけれど、ここんちの子は口も手も非常に暴力的な子でトラブルが絶えない。この子は母親に対してかなりの口達者なようで、母親はそのトラブルを全く認めず、我が子正当化の演説を回避するための「泣き寝入り」が多い。うちの息子も低学年のときに、この子から執拗な「オマエは学校に来るな」攻撃を経験。現場での解決に頭を使ったが、演説聞かされるのがめんどくさくて結局親には言ってない話。演説より本当は足元なんだけどな、と思うけれど、その後がかな〜〜〜りめんどくさいことになりそうでちょっと言えない。結局は自省の材料として、相手憎まず自分確認。解決は、保護者闘争より子どもの心優先。
 帰りに同方向の同学年の子の母子としゃべりながら帰る。この母、看護師さんで、若いときに、うちの娘が心臓の手術をした都立の小児病院での研修を経験している。経験の実際の接点は無いけれど、それでも共通した景色を持つ相手。育児によるブランク、パートで看護師なんてことを経て、現在訪問看護の研修中だと聞く。
 聞いた途端、思わず立ち止まり向かい合って「頼りにしてもいい?」と聞く。わたしの人間関係の中で、最近気管切開の施術を終えた子どもがいる。まだ入院生活だけれど、在宅、医ケアの日常になる日がこの母にもやがてやってくる。制度利用ではないところで、人間関係上で出てくる、「ちょっと頼りにしたい人」が地域に存在するってことは大きいだろうと思う。
 「何かあったらいつでも声をかけてね、プロだから」というありがたいお返事。隠しダマ、また一個確保。うれしい。