リツエアクベバ

satomies’s diary

迷ってますよ

 いや、迷ってますよ、つまんないことだと思う。実につまんないことだと思う。あ〜あ。
 決断に迷う、ってことじゃない、自分に迷う、自分の思考の表出に迷うってことのような、人とのあり方に迷うってことのような。
 昨日、娘の連絡帳に書かれてきたこと。娘の歩行、社会での歩行。信号のある交差点の横断とか、横断歩道での横断とか。しっかり安全確認をしながら歩く、とか。要するに「評価」。そこで出てきた表現に、「おい」と思った。
 「さすが中3ですね」
 ああ、誰にだってどーだっていいことだと思う。実にどーだっていいことだと思う。でも、わたしはこの一言に、がっくりと来た。
 さすが中3じゃね〜よ。年齢じゃないんだよ、積み重ねてきたんだよ、ずっとずっと。幼児期から歩かせるときに、注意をしつつ半歩下がって、本人の意志確認と安全能力に関して教えてきたんだよ。手を引いて自分が前に、じゃないんだよ。手を引いて同じ位置、ってことでもないんだよ。半歩の二分の一程度から、「アンタはどうする?」というところで育ててきた能力、培ってきたものなんだよ。
 こんな些細な一言にツッコミを入れるのは、かわいそうな気がする。今年異動してきた担任が、妙に気を使って変に饒舌になっていることに関しての、申し訳ないけれど、その不自然さにうっとうしさを感じるのか。やたらにほめようとするテンションに違和感を感じることが関係しているのか、なんてことも思う。
 でも違うよ、年齢を出してきて「ほめよう」なんて。年齢が来れば「自然に成長する」なんてことを待っていることに限界があるから、目標設定して育てるんじゃないか知的障害児ってものは。目先の小さなことに一喜一憂しないように、長期的な目標を立てて将来を考えるってこと。アイツの「IQから推測される幅をはるかに超える生活能力」ってのは、そんなことの集大成で、わたしはやっとこ、その長期目標が積み重ねられていることの体現が「見えてきた」満足感を与えられてる。ここまで軽く10年以上かかってるのに。
 な〜んてことは、きっと理解の範疇の外なんだろう。そこつついたら気の毒なんじゃないか、なんてことを思う。思いながら、思いながら、書いちゃったよ。
 「『さすが中3ですね』には、が〜〜〜〜〜〜っくり、来ました」とね。
 あ〜あ、んなことは、言いたきゃ、面談でゆっくり言えよ。「文字で伝えられる刺激」ってものは存在するじゃないか。言いたいことを理解されるために伝えるには、伝達の方法と伝達がスムーズに行われる「場」の選択、なんてことだってある。それを待てなかった自分の短気。
 先生、なんだか、かわいそうだ。中1からつき合いのある学年の担任がフォロー入れてくれることをヒソカに期待する自分。
 つまらん日記だなあ、つまらん自分だなあ。でもこうやって吐き捨てることで、次の自分なんぞを見つけていこう、なんてことも思う。