リツエアクベバ

satomies’s diary

中学生の子のブログ:その2

ねえねえいいでしょ?とリンクしたくてたまらんが、この子のブログをリンクすると芋蔓式に坊やのリアル情報が出てしまうし、どこぞのオバチャンにどーだこーだ言われるのも違う気がするので我慢我慢。
昨夜上がったエントリに泣けた。中学卒業を目前にして、自分の三年間を振り返るものだった。そうかこの子はこんな風に三年間を歩んでいたのかと思った。過去エントリも引っ張り出してこの子の三年間を語るとこんな感じ。
一年の時は。中3の「お仲間」と「先生とお巡りさんをからかうような毎日」だったと。後悔もせず他者のことなど考えてはいなかったと。強くなりたかった、強く見せたかった。ただ、本当の強さというようなものを見失っていたような幼さの日々だったと。
二年になって。一緒に遊んでいた中3は卒業していなくなった。在学の小学校の時からの友達はみな部活でヒマになった。部活に通う仲間がうらやましくなった。ただ、あの頃の自分の部活参加を誰が許すだろうと自分でも思っていた。そして勇気を出して中2の時の担任に電話をして気持ちを話す。担任がこの子が入りたいと思う部活の顧問に相談、仮入部から始まった。自分にとっては自分が許された「衝撃の入部」だった。開かれた扉、歩み出した道をはずれてはいけないと懸命に部活部活の毎日が始まる。この子の中2の時の担任は、ウチの坊やが中1中3と担任になった「あの熱血」。熱血、エラいぞ、よくやった。この子の部活の顧問は坊やの学年の担任グループじゃないのでよく知らん先生なんだけれど、この先生が顧問じゃなきゃ続けられなかったとも。
中3になる。部活では思い通りにならないこともあったけれど、それでも部活によって自分には「仲間」ができたと思った。もう道ははずさないはずれない。中1の頃の「お仲間」は、もう自分のことを仲間だとも思ってなかった。部活を引退してからは、ひたすら勉強を頑張った。努力は報われて、第一志望の合格を手にする。お巡りさんをからかうなどという遊びはもう遠い過去。
今思うことは、自分は自分のままでいいこと。自分を作らなくてもいいこと。弱いなら弱いままでいいこと。泣きたいなら泣いていいこと。そんな自分でいいんだということ。
ウチの坊やの中1と中3の担任が、転機となる道を引いたんだなとよくわかる。そしてウチの坊やの中2の時の担任も、重要な登場人物としてこのブログの過去の記述に出てくる。30代になったばかりくらいの女性の家庭科の先生。この方は、褒めるところを見つけるのがうまいという印象があった。この子のブログの記述には、「謝ったら許してくれる」人物として記述されてる。この子に信じるということを、この子を信じることで教えていったのだろうと思う。
この子の過去の記述の中に、こんなことがあったのか、と思うようなことがあった。デビューして、ヒット曲をたくさん出して、そして結婚というニュースの中で持病が告白されたあの若い女性シンガー。この子はあの若い女性シンガーが大好きで、コンサートによく出かけて行ってる。この女性シンガーが青森でコンサートを開くことになったときに、行きたいとせがんでおばあちゃんに連れていってもらう。しかしこの青森のコンサートは持病での体調不良のために直前に中止。この子はそれを発表した人に泣いてすがる。責任者が出てきてこの子の話を聞く。この子が言いたかったのはこういうこと。「ボクは神奈川から青森にやってきたんだ。ボクは青森までやってきたくらい彼女の歌が聴きたかったんだ。直前の中止を責めたいんじゃない。そうじゃなくて、そんな強い思いであなたの歌を聞いているんだと、そのことを伝えて欲しい。ボクはそれが言いたかったんだ」。そしてこの子の声は、約束通りきちんと本人に届けられる。心のこもった直筆のメッセージがその後、この子の元に送られる。この子の思いに関わった大人たちにありがとうと思う。
今週は卒業式がある。この子の知らないところで、この子に向かってこの子の三年間の卒業を祝う拍手を送りたいと思う。卒業、おめでとう。