リツエアクベバ

satomies’s diary

車椅子マークの駐車スペース

 車椅子スポーツのテレビ中継が見たい、と思って検索していたら、発見したブログ「暴れる車いす
 ここをつらつらと読みつつ、コレを発見。
「(車椅子マークは)おしゃれで付けてます。ごめんなさーい」
 リンク先の新聞社ニュースを読みながら思ったことは、この「おしゃれで付けてます」という人が本当に実在したのか、ということ。ニュースを衝撃的にするための「やらせ」はあちこちですぐに問題になることで、そういう意味で、刺激的なものほど、「実在?」と勘ぐってしまう部分がわたしはなんとなくあると思う。
 ただ、「おしゃれで付けてます」という人が実在しなかったとしても、「本当に必要?」と思うような人は、障害者用スペース利用の人にしょっちゅう見受けられるし、このことに対して憤慨という文章をネット上で見たことがあることは初めてじゃない。
 このブログであげられているように「利己的な人間性の問題」ということは確かにあると思うけれど、実情を本当に理解する機会の無い人という要素もあると思う。
 実際、「車椅子マークの駐車スペース」の本文中であげた”「駐車禁止除外指定車」で解決できないこと”に関しては、わたしは車椅子使用当事者から聞いたことで、恥ずかしながら告白すれば、わたし自身も聞いたときに「ああ、そうだったのか」という感じで理解したということ。
 ちなみにこれを聞いたときに、わたしは「怒られて」しまいました。娘の知的障害の判定が「中度」から「重度」に移り、「駐車禁止除外指定車」該当車になった報告なんてのをしていたときなわけで、「わ〜い」という感じでこのことを言ったら、「本来、そんな騒ぐ利点でもない。あれがあるよりも障害者用駐車スペースの方がもっともっと必要なんだ」ということでね。これはとても納得だったし、その「もっともっと必要なんだ」というスペースが現在あるにも関わらず、「ちょっとだけなら」「自分だけなら」って人が少なからず存在することは、やっぱり問題なんだろうな、と思う。
 自分がおかれた立場以外の人の「立場」「事情」、そういうことに関しての「想像力」を持つ人が増えることって、大事なことなんだろうな、と思うことが記事上げの理由。