リツエアクベバ

satomies’s diary

子どもに「不幸」を教えるということ

 中二の知的障害児、6年5年3年2年の小学生。姑逝去から告別式終了までの一週間、わたしはこの「5人の子どもたち」の「母」だった。3人の子の母である義妹が実家にいてくれることが心強く、わたしは進んでこの子達を迎え入れた。
 子どもたちには、「不幸」というものを教えなければならない。経験で学習していくこと、だと思う。しかし、この機会の中で彼らが学んでいくことをわたしは大事にしたかった、と思う。
 子どもたちにまず聞く、「お葬式に出たことはある?」。うちの子どもたちは何度か参列のお供に連れて行ったことがある。ただ彼らにとっての記憶は乏しい。息子は友達の葬儀に出たことがある。それでもこの時には、「死」ということの意味をつかむだけで精一杯だった。義妹の子どもたちは親戚の葬儀に出たことがある、とのこと。
「今回はね、家族のお葬式ということになるの。あなたたちはお客様を迎える立場でもあるの。いい子にしていてね。お客様にご挨拶しなきゃならないときは、きちんとお辞儀をしてね」と教える。
 通夜の前夜、翌日の行動の時間帯と通夜の段取りを教える。「出棺」は、家から出ていくためのさようならの挨拶とその見送りと教え、通夜と告別式の参列者の焼香時に「礼」をする立場になることを教える。告別式の前夜、翌日の行動の時間帯と段取りを教える。聞いていなくてもいいことかもしれない、聞いてもわからないことなのかもしれない、その場その場で動けばいいことなのかもしれない。でも、わたしは、それでも言っておきたかった。自分たちが経験することの意味が、その年齢なりに感じ取れるように。それは逝く人が教えることでもあるのだから。
 告別式後、お別れの献花をする。顔を体を花で飾る。そして棺に蓋を閉める。このときにわたしは子どもたちに声をかける。
「さあ、あなたたち、おばあちゃんにちゃんとさようならをしなさい」
 ここで蓋を閉めるその意味をわたしは教えたかったのか。それともこのときを「体に対しての最後のお別れ」とわたしが認識していることに対してのわたし自身の叫びなのか、それはわたしにもわからない。これを言うわたしの声は震え、ぼろぼろぼろっと涙がこぼれ落ちた。
 この瞬間、子どもたちが一斉に泣く。わたしは自分も自分の口から出た声の色に動揺し、ぼろぼろと泣きながら、それでも視線を流し、子どもたちの立ち位置を確認する。泣いている子どもが1人になっていないか、誰かに添える位置にいるか。
 遺体を火葬する、棺を扉の向こうに入れていく、「さあ、これが最後よ」と小さく声をかける。息子はわたしにもたれて泣き続ける。そうだよ、これがお別れ、なんだよ、と、わたしは息子を抱えて無言で伝え続ける。
 彼らにとって、この体験はどんな風な記憶として残っていくのだろう。彼らが成長したときに、ゆっくりと聞いてみたい。娘に関しては、残念ながらそうした会話を交わせないけれども、今回の一連の流れの中でお焼香や線香をあげる動作がすっかり板に付いた。そうした娘の姿を見ながら、その成長を思う。これは故人が教えたことなのだと思いながら。