リツエアクベバ

satomies’s diary

7回目

猫が死んで7回目の水曜日がきた。今日も水曜日のネコを飲む。
木曜の朝死んだので命日は6月13日。気づけば今日が、いわゆる四十九日にあたるようだ。

今までいろいろな人を送り、それぞれの喪主の選ぶ儀式に手を合わせてきたが。わたしにとってはそうしたことすべてが「社会とのつきあい」だったのだなと思う。
大事な大事な猫を失い、わたしはやりたいことしかやっていない。

棺に花いっぱいにしたのは、やりたかったからだ。
斎場で「ここでお別れです」と言われた時、「よろしければ焼香台をお使いください」と言われた。わたしはそれを断り、「ぷったん、ばいばい」と棺を閉めた。
誰もいないんだから、やらなきゃいけないなんてことはない。大人ぶりをどこかの大人に見張られることもない。葬式仏教にもっともらしく参加している化けの皮がはがれたようなもんだ。

骨になってすぐ、義妹が線香をと言ってきたので「いらない」と言った。部屋にはあちこちに残り香がかすかにあった。そのかすかなそのうち消えていくにおいを、わざわざ線香でぶち壊すのは嫌だった。だいたいそんなすぐに線香とか、そんな葬式くさいことはいやだった。「生育歴の中に仏壇が無い」と、義妹に理由を説明した。わたしには仏教文化が生活に根付いてない。
そのうち日がたち、線香でもあげるかとなった。中華街で買った象のお香立て。ガラスの器。

もう抱けない、さわれない、と思ったが。数日前に骨壷を抱いた。なんだ、抱っこできるじゃないか、と思った。
埋葬は秋の予定。それまでは時々抱えてみる。