リツエアクベバ

satomies’s diary

カウントダウン

 息子、11歳になりましたのでね、サンタに関してそろそろきちんと「告知」の時期なんだと思うのですわ。夢を作った側がきちんと、発展的に、といてやりたいと思うのだけれど。
 わたしは小学校に上がった時期には「サンタのプレゼントはパパが買ってくる」と思ってました。キーはプレゼントの包装紙。よくいくデパートのクリスマスセールのものだったから、ああなるほど、と。つまらんガキです。母に言うと、母は「おねえちゃんにはまだナイショよ」と言っただけでした。かなり早いうちから読書好きであったわたしは、クリスマス時期のサンタストーリーが好きだったこともあって、現実的なショックというものは特に感じませんでした。サンタを存在させようとする12月の時期の街の雰囲気が好きだったからかもしれない。サンタの存在というもののヒミツを知ってしまっても、まだまだ妖精が出てくる物語は充分に楽しんでいましたし、「妖精は花びらに文字を書く」と記載された本を読んで、花びらを透かして見たりしていました。
 子どもがサンタを妖精のようなものと認識するのに、けっこうなヒントは日常に満載されていると思う。例えばプレゼントの包装紙のように。そのヒントに気づくか気づかないか。気づかない場合は親の洗脳というより、潜在的にサンタを信じようとしているということかな、とも思う。
 うちのサンタの出資者は、実は夫の両親側の祖父母。クリスマスに何か買ってやりたい。他の孫達にもそうしてきたから公平性を保つためにもそうする。これが決定されているところで、いくつもクリスマスプレゼントが存在するのは、物が簡単に手に入ると思われちゃ困るということで教育上よろしくない。舅姑了解のもと、サンタのプレゼントになったわけです。
 了承の上とは言いつつも、姑は「おばあちゃんありがとう」が聞きたいばっかりに、早く気づいて欲しいわけです。「クリスマスに何が欲しいか」という質問を重ね、姑はチャンスを狙う。わたしは姑の気持ちもわかるので、それを放置。気づけば気づいたなりに話をしてやろうと思っていましたので。自分が気づくのが早かったから、まあ、そんなもんだとも思っていた。
 ところがなぜか、息子は、「サンタさんへの連絡はおばあちゃんちから」と理解したんですよね。わたしは何も言ってない。単に、おばあちゃんちに欲しいものを言うと、それをサンタが持ってくる、と、彼は理解したわけです。
 サンタは家庭によって決定されるプレゼントの額が違うという現実があります。また、この12月のクリスマス商戦の時期は、ポケモンの新しいソフトが発売される時期でもある。過去、何度も任天堂は、この時期に一度に二種のソフトを発売するということをやってくれました。例えばサファイヤ・ルビー、ファイヤーレッド・リーフグリーンのように。このソフトを二つサンタさんが持ってきてくれる家庭もあれば、一個だけの家庭もある。また新しいハードとセットでというような金持ちサンタも存在するわけです。うちは一個ですよ、二個なんてとんでもない、二個じゃほぼ「万」になりますから。冗談じゃないです、ガキが一度に「万」の「モノ」を手に入れるなんて。
 しかし、なぜか、友達同士での「サンタから来た額」の比較をしなかったんですよね、うちの息子は。この伏線も難なく飛び越えてしまった。もしかしたら「いい子だから」「いい子にしてたら」という「サンタのプレゼント有償制」にしてたら、この辺に影響していたのかもしれませんが。
 「サンタ考」にあげたコンセプトどおりに今年の25日は解説をしようと思うのだけれど、正直、ちょっと緊張してきた。刻一刻と近づく25日の朝に向かって、カウントダウン、あと一週間を切りました。
 ちなみに娘に関しては、サンタをどう理解しているか確認不能。25日の朝は、起きてすぐにツリーに走る弟から、「これはちぃちゃんのだよ」と手渡されるので、クリスマスプレゼントは弟からもらうものと思っているという可能性もアリです、しかしこれも確認不能です。