リツエアクベバ

satomies’s diary

開会式

本当にやるのかと思っていた東京オリンピックが本当に始まった。
特に見ようと思わなくてもニュースの時間に、すでに始まっている試合の様子が出てくる。

女子ソフトの上野選手はかっこいい。
女子ソフトがテレビで紹介されるのも久しぶりだが、宇津木監督の中国訛りの日本語を聞くのも久しぶりで、いろいろ思う。次のオリンピックでは女子ソフトは採用されないようで、今大会は特別な意味をもつのだろう。

なんだかんだと物議を醸した開会式が始まった。なんだかんだ言ってもわたしは見るよと宣言して、テレビをつける。次々と映し出される映像を見ながら、わたしたちはアイスを食べる。

問題の四分間とか、誰がどう演出したのかとか、いろいろなことはあるのだろうが。それぞれのパフォーマーがそれぞれの場面でそれぞれの役割を真摯に演じる。その様にとても感動した。
演者ひとりひとりもこの騒ぎにずいぶん翻弄されただろうが、できることは「自分のパフォーマンスにベストを尽くす」ことだと思う。結局、そこに戻るんだと、そうやって今日を迎えたのだろうなと思う。

メダルがあるわけではない、カメラに残る自分の時間が多いわけでもない。
でも、自分のパートを完璧にこなさないと全体の美は生まれない。
ネガティブな話題ばかりだったからこそ、素晴らしいパフォーマンスを目指そうと思っただろうななどと想像する。

あいうえお順に選手が入場する。ガボンで風呂に入った。ジップロックスマートフォンを入れ、NHKプラスのアプリを開き、選手入場を見ながら聞きながら風呂につかり、体を洗い、髪を洗った。

選手たちが入場する、いくつかの国が子どものようにジャンプしながら入場する。日本も大変だが、それぞれの国もそれぞれにいろいろ超えなければならないことが多いオリンピックだったと思う。
始まるんだから、始まったんだから、それでいいんじゃないかと思う。

大変なことは多い。とにかくからんでいる「えらいやつら」が、みんな気分の悪いやつらという大会だと思う。
大会中も、たぶんいろいろ起きるんだと思う。ちょっと怖い。

息子ご帰還

息子がいない生活にも慣れたが、帰ってきて「いる」時間にもすぐ順応。
しかし、うるさい。

この子、地声がでかい。なんだかんだとよくしゃべる。姉弟の家だが姉が姉だから「ひとりっ子長男」のようなところがあり、対外的にはおとなしい子の類に入ると思う。しかし家ではうるさい。

気心知れた友人には、この、なんだかんだ地声がでかいこととか、うわっとか驚いたときの声がでかいとかが周知されている。それで息子が「一人暮らしをしようと思う」と言ったらば、息子の友人の一人暮らし民が声を揃えて「アパートはだめ、マンション」と言ったそうだ。オマエは素でうるさいと。

そんな息子さんは性格が素直なので、とにかく鉄筋や角部屋にこだわった。角部屋だと「隣が一軒」になる。

結局見つけた部屋は一階が居酒屋、二階がカフェレストランで、三階から上が1Kのマンションの四階。店舗の音も響かないし、角部屋で窓が多く風通しもいい。建物自体は新しくないので家賃が高くない。
出てすぐの道は広めの一通なので通り沿いなのに車も多くない。街中なのに静かだ。
近くに大学があるので安い定食屋が近所にある。駅も近いしスーパーも近い。非常によいところを見つけたと思う。

ただ、自分が素でうるさいということを友人達に言われて、生活音に非常に気をつけているらしい、真面目だ。

その反動からか、うちに戻ってどうでもいいことをでかい声でわーわー話すからうるさい。
うちは隣が遠かったり、ガラスがペアガラスだったりで、家の音について周囲を気にする必要がない。
その環境に戻った安堵が、でかい声にくっついて流れている感じがする。

よしよしガス抜きしていけよと思う。

花に水やり

梅雨があけ、陽射しがヤバい。水を、水をくれという植物たちに水をまく。

父が死んだのは2013年の春だから8年前か。そのくらいからわたしは、ガーデニングおばはんになった。
一時の夢中さは落ち着いたが、それでも鉢は多い。

無駄に広い庭に立ち、水をまきながらふと、四月の息子のことを考えていた。

退院して家に帰り、不在中のことを喋り続けていた息子が「あ、花に水をやらなきゃ」と庭に出て行った。
四月の頭に発症して、月末に退院。ふと息子の姿を追うと、緑の鉢だった多年草宿根草が、春の花を咲かせていた。ああ、春が進んでいるのだなと思った。

特に何も頼まなくても、母の不在に植物の世話を請け負わなくてはと。
気がついてくれ、そう思ってくれた息子に感謝をした。

今日、水をまきながら。感謝ではなく別のことを思っていた。

母が倒れ、運ばれていき。父と姉も悪化して入院していくのをひとり見送った息子。
夫は息子に「必ず三人で帰るから」と言って出たと。そのとき、わたしの病状は深刻だった。
息子は父親に「必ず三人で帰るから」と言われながらも、自分がひとり残されたらどうしようとかなり思ったと、退院したわたしに話した。

今日、水をまきながら。急に「たったひとりで」庭に立っていた息子のことを考えていた。ざわつく孤独を、急に共感した。

あの恐怖の物語の日々が終わって、本当によかった。
あの子がとても平和に家を出ることができて、本当によかった。
しみじみと、しみじみと、感じ入る。

感動を与える

スポーツの場面でよく聞く「感動を与える」という言い方。聞きながらいちいち違和感で仕方がない。

言葉の意味としては「影響を及ぼす」の意で(感銘を与える、苦痛を与える)として、スポーツエリートの世界の会見指導を受けて使っているのだろうと思う。
そうでなければあんなにみんなで、判を押したように同じフレーズは使わないだろうと思う。

しかしどうしても「与える」という言葉には、「花に水をやる」的な上から下ベクトルを持つ感がにおう。(褒美を与える、餌を与える)

「感動を渡せる」くらいにできなかったものか、といつも思う。

kotobank.jp

別にアタシが東京に呼びたかったわけじゃねーし

と、今多くの人が思っているだろう東京オリンピック。とにかく汚い大人の世界がもろ見え大安売り。
この現状の中でアスリート、自分の活動以外話さない人もいるし、意見や考えを表明する人もいる。

しかし、「表明する人」の言葉にはどこか違う世界の人感が残る。あなたが思うほどオリンピックが大事な人ばかりではないし、大事なものをぶちこわされた人はコロナ禍にはたくさんいる。と思ってしまう。

表明しなくても、平野美宇のリオの悔しさは知っているし、顔つきががらっと変わった桃田のストーリーは日本中のおばちゃんの支援がつきそうな気がする。あっという間に終わるかけっこも、楽しみではある。

しかし結局、勝ったら「感動を与えられた」とか言うのかな、やっぱりなんか好きになれないフレーズだな。
このコロナ禍で、ゴリ押ししているオリンピックにどこまで感動できるのか、よくわからないなと思う。

すれちがい

所用で出たついでに、家の近くのドラッグストアに寄って帰った。トイレのタンクの洗浄剤やら、ゴミ袋やら、虫除けスプレーやら、アイスコーヒーのペットボトルやら。そういやこの店くるの久しぶりだなと思った。

夫が帰宅して言った、「帰りに見たんだけどさ、あそこのドラッグストア、臨時休業になってたよ」。

あ、陽性出したな、と思った。昼間は日常で夜臨時休業とか、陽性者出たとしか考えられない。

チェーン店なのでサイトで調べると「従業員陽性判明」と。夕刻から臨時休業で消毒するそうだ。
勤務中はマスクしていましたから!、とある。
接客された可能性のある人間は、パニクるな、ということだろう。

今日の夕刻から「コロナ患者」になったここの人。ご本人やご家族は、今ごろ大変な思いをされていることだと思う。

この人のコロナ。広がらず、重くならず、平和に10日間が過ぎていくようにと思う。

昔の写真

学校行事からカメラマンが消えたのは、いつ頃からだったんだろう。
息子が小学校や中学校の頃は、まだ行事に雇われるカメラマンの写真が学校の廊下に張り出されてた。いや、中二までだったような気もする。

素人が撮った写真のプリントに比べて一枚の値段が高い。それなのに、誰かが中央に写るものの背景にちらっと横顔くらいで購入を申し込むものだから、こんな写真まで入れて総額ここまでの値段かよとはよく思った。集合写真も高かったからね。

いろいろなものを整理していて、そうした写真を入れた「購入袋」がそのまま出てきたりする。
申し込んで、買って、見て、放り出す。それを適当にしまいこんで、また出てくるみたいなこと。

ぽつぽつと出てくるそうした写真をiPhoneのアプリでスキャンする。そうして息子に送る。いまさら写真をプリントでもらう気もないだろうと思うので。

小学生の顔も、中学生の顔も、わたしは集団が写る写真の中に息子を見つけられる。それが、たった数人で中央に写るものでも「ガチで誰かと思った」と本人が言う。
なんだか、へーと思う。

たぶん、アップデートされた「今」が、本人にとっては「認められる自分」なのかもしれない。

では自分はどうなのかと言えば、子どもの頃や10代とかの写真を見れば、やっぱり同じようなものかもしれないと思う。

ただ今は、ううむ。正直、45歳あたり以降の写真は「劣化」の二文字がちらつくけれどね。
まあ、生き物というものは老いるものだから仕方ないわね。

夏本番

関東は昨日、梅雨明け。
今日は、来ました!夏本番という感じの空になった。

雨ばかりの頃は、すぐに洗濯物が乾く時期が恋しいなと思っていたが。
まー、こう暑いといやになりますな。

23年前にこの地で住み始めたときは、夏の間エアコンをつける日は8月の二週間あるかないかくらいだった。
裏の山が切り崩されて大きなマンションが建ち、大きな庭付きのお宅が売りに出されてマンションになったり、何軒もの家になったり。
周囲からどんどん土と緑が消えて、田舎くさい景色が消えた。
地球は暑くなり、この地も暑くなった。

やれやれだ。
土地の今昔を語れるばーさんになってきた。

そういえば。
地域の子ども会の役員の頃、よく町内会のじいさんたちと話す機会があった。
その昔、この地の神社で村の若者がお芝居をやっていたのだそうだ。それがおもしろいと評判で、けっこう遠くから人が見に来たのだそうだ。
「あんたんちのおとうさんも、いっしょにやってたんだよ」。

へーと思って、夫の実家でこの話をした。ああ、まだ姑は生きていたな。あと、義姉もいた。

「おとうさん、お宮でみんなでお芝居やっていたんだって?」

舅は黙って返事をしないし、家族全員初耳で驚くし。なんかやっちまった感、だった。
たくさん聞いた話を、全部しまいこんだ。楽しそうな話だったんだけれど、舅は気が進まなかったことなのかどうなのか、真相はわからない。
でも、その話自体はおもしろかった。
その話をしてくれたじいさんも、もう死んでしまった。

あれも夏だったな。