リツエアクベバ

satomies’s diary

死生観

先日、同い年の友人と話していて。昨年、お母様を送られたとの話とか。
「姉がね、母が老いていくことをいちいち怒るのよ」と話したら、「わかる」と言われた。
怒っても仕方がないと思いながら、ずいぶん怒ってしまったのだと。穏やかな友人がそう話す。

わたしは。腹は立たないのだ。そうかと思って、カバーできる方法や機器を考える。母にも言うのだが、母の老いに対してわたしは「自分の予習」をしているような気がするのだと。

たぶん。わたしはあの「あなたは死ぬかもしれません」の日から、なんだか意識が変わったような気がする。あの日の病気は治ったのだけれど。それでもあの日、自分の死を見据えた意識ははっきりと残った。
人は死ぬのだ、そしてわたしも死ぬのだ。それがはっきりとわかったような気がする。わたしは死ぬのだ、今日ではないが。そう、ただ今日明日ではないだけなのだ。

その中で、日々を生きる。今日を充実させながら。そして老いも死も、「そんなつもりではなかった」とは言えないことなんだなと思った。
これは死生観というものなのかな。