リツエアクベバ

satomies’s diary

感謝

医師から「人工呼吸器設置の可能性がある」と告げられたのは4月12日。
苦しいから闘病しているわけだが、そんなに状況はヤバかったのかと信じられない気持ちでもあった。

つくづく思うのだが。自宅療養者に「こうなったらヤバいから」の説明が無さすぎる。自宅療養する病気とこっちが思っているからタイミングに気づきにくい。苦しいヤバいのコールにも、決して丁寧に対応されたわけじゃない。むしろ逆の人間もいた、「さっきも私が対応してますけどね」と冷たい声を出した女をたぶんわたしは許すことはないと思う。

4月12日。ここからわたしは死んでもなんとかなる準備のためにむちゃくちゃ動いた。生きているうちにしかできないことは間に合わせるべきだ。メールを、LINEを、メモ帳機能を駆使してどんどん動いた。

LINEを使って、主だった「強い関係の友人」に別れの挨拶を入れていった。
これはもしもわたしが本当に死んだときに。家族が誰とコンタクトをとればいいか、LINEを開けばわかるようにするためだった。
闘病中の友人と、病院からもやり取りしていたという人が、その葬儀の知らせを「役員だか」の連絡網で知らされた。このエピソードの残酷さを、わたしは強く記憶していて、「家族がコンタクトをとるべき相手」をわかりやすくするということは、とても重要だと思ったからだ。

当然のように彼らは動揺し、そしてわたしらしいやり方を尊重した。「あとは祈っといとくれ」。

ネット上のあちこちにも、別れの挨拶も投げていった。

細々としたこの陣地にも旗を立てた。単なる旗くらいの思いではあったが、思いがけずにたくさんの人の愛をいただき、驚きと共に深く感謝している。

LINEのオプチャにいくつか入っている。若い親がたくさん集まるダウン症のオプチャに挨拶を入れた。
「もしもわたしが戻らなかったら。あなたがつらい時にあなた自身を抱きしめて『私だけは味方だから』と自分に囁いて。そうしたら必ずしあわせになれる。じゃね」

BUMP好きなわたしだが、最近別のアーティストにどハマりしており。このアーティストのファンオプチャに参加。配信ライブをリアルタイムで参加したりしていた。もちろん彼らの方が若いのだが、わたしを仲間と認識してくれる愉快な奴らだった。
ここにもわたしは挨拶を入れた。突然消えたら変かなと思ったから。

驚くことに、オプチャ機能のノートに、わたしに対しての応援メッセージ受付所ができあがった。そこまでのわたしに対してのトーク画面のメンションは全てスクショされて画像として貼られていった。
今まで直接対話したことがない参加者も、わたしにメッセージを入れていった。そこには今まで伝えられたことのない、わたしの印象が綴られていた。
これは本当に驚いたし、発信というものは常に印象を残すものなのだと再認識した。
そしてこの仲間たちの作ったノートは、わたしの一生の宝物になった。
また彼らと配信ライブ中に騒ぎたい。

Twitterに新しいフォロー通知があった。知らん人がわたしを応援していた。

それ以外にも。とうにわたしのことなど記憶の彼方だろうという、ネット上の人間関係がわたしを見守っていたことに気づく。

わたしは。なんだか巨大な団扇で生の方向に揺り戻されたらしい。
人間の思いというものは、本当に素晴らしい。

そして。ひたすらに、自分らしくしあわせに歩きたいと思いながら。
折にふれ、好き勝手なことを書き殴るわたしを愛してくれてありがとう。

おれ、死なないぜ!