リツエアクベバ

satomies’s diary

爪切り

娘は自分の爪を自分で切ることができない。

今日、風呂上りに娘の爪を切った。足の爪と手の爪。

わたしは娘の爪を切るのが嫌だ。靴のサイズでやっと22センチの小さな足の、小さな指の小さな爪。娘の足の爪は真っ直ぐに伸びない。指に真っ直ぐ伸びていくのではなく、指の丸みに沿って伸びていく。爪切りを皮膚と爪の間に挟み込むように差し入れていかなければならない。切るのが難しい。

わたしは娘の爪を切るのが嫌だ。うるさいから。切られるのに緊張するのと、切る人間に気を使うのとで、ぐちゃぐちゃうるさい。「おねがいしまーす」「はい、はい」「がんばって」「もうちょっと」「ふう」「はーい」「ふう」。うるせーよ、黙って切られとけ。こうなんというか、イライラ線をこつこつたたかれる感じがする。

赤ちゃんのときに。ずーっと入院していて毎日数時間しか面会できなかったときに。小さな危なっかしい宝物になにかしてあげたくて、なにもしてやれなくて。爪ばかり見ていた。面会時間にしてやっていいことのひとつだったから、爪切り。

それなのに、すっげーめんどくさい作業になった。夫がずっとわたしが切ってやるのが当たり前みたいな顔をしているので、一度「切ってやって」と頼んだ。足の爪をちょっと切って、怖い怖いと中途半端に放り出した。ふうんとか思って交代したけれど、ある日キレた。この子の足の爪は切るのが難しい。だからと言って当たり前に押し付けてくるのはどうかと思う。わたしだってこの子の足の爪切るのは怖いわ。

夫は気づいたときに切ってくれるようになった。もう中途半端に投げ出すことはない。でも娘の爪が伸びたことに気づくわけではない。まあ切ってくれることがあるだけいいやと思う。

今日、風呂上りに娘の爪を切った。足の爪と手の爪。
なんとなく、初心に帰ろうと思った。切りにくい形態は仕方がない。気を使ってぐちゃぐちゃ言ってくる根っこに寄り添おう。要は、支援の心の原点に立ち戻るみたいなこと。
「いち、に、さん」と言いながら切った。ひとつの爪に対して、「3」。本人が作業に対して我慢する長さの見通しが立てられるよう。

なんだかわたしの心も娘の心も、爪切りもうまくいった。もう29年も一緒にいるのに、いろいろと足らないかーちゃんですまんな、ちぃちゃん。