リツエアクベバ

satomies’s diary

ダウン症の顔貌

ダウン症児の整形-ESSAY:Milky Way

リンク元ダウン症関連のワードによる検索ページがあったので、そこに飛んでそこからリンク飛んだりしてたら見つけたページ。アメリカに住む幼稚園教師の方のサイトのエッセイページのコンテンツだった。栞をはさむようにブックマークしたら、その後ぽんぽんとブックマークが付いていってへえと思った。
白人の中では日本よりもダウン症の顔貌は目立つのかもしれない。白人の人のダウン症の人は、やっぱり白人の人の顔だなあと思うけれど特徴的なところはあるのは事実。
ダウン症を蒙古症と呼ばれた時代を知っている人は多いけれど、その「蒙古症」という名前には差別的なところがあったことはあまり知られていない。その昔、白人が人間の進化の姿として最も優れていて、次が黄色人種、最低が黒人という説があったところから、「白人に時々生まれる知的障害のある子どもは、先祖帰りのように退化したために黄色人種の顔貌的特徴が見られ、退化したために知的障害がある」等というところから来ているという話。語源がそうした人種差別の要素があったということでこの呼称は否定されて現在に至る、と。この差別的な感覚から白人の方が「イヤ」って思うのかな、ともちょっと思った。ソースは確か飯沼和三医師の著書。ちなみにその書籍は図書館で読んだ本であったことと、初版で絶版になっている本であることから現在確認ができていないけれど、記憶だけでは確かこの本。

先天異常を理解する

web上では、ちょっと検索したら出てきた。

誰にでもできる障害児共育-桜美林大学 経営政策学部 阪上裕子研究室
ダウン症は、正式の名前をダウン症候群といいます。この名前は、1866年、イギリスのラングドン・ダウンという医師が由来しました。ダウン医師は発達の遅れを持つ子供の中に両親は違っていても、兄弟のようによく似た子供達がいることを発見しました。顔は、彫りが深くなく、頬がまるく、目尻が上がっていてまぶたの肉が厚いこと、また体は小柄で、柔らかく、髪の毛もカールではなくてまっすぐ薄いことなどです。それが、モンゴリアン(蒙古人)と似ているとして、それが、ダウン医師はヨーロッパ人のなかでに能力の劣った蒙古系の人種が生まれてきたと考えました。そしてモンゴリズム(蒙古賞)という名を付けたのです。しかし、これは間違いです。ダウン症は人種の違いではありません。蒙古人やアジア人に多い障害でもありません。世界中どの国にも、どの人種にも、ほぼ同じ割合で現れる障害なのです。

しかし、なあ。社会がどうの差別がどうのって、相対すべきなのはその差別の内容であるわけで、その差別の要因はオマエの顔にあると親から思われるのって本人にとってどうなんだろと思う。どんな特徴をもっていても自分の顔は自分の顔なのに。ダウン症の顔の特徴は特徴だけれど、その子によって顔って違うよね、ダウン症の子でも。自分の子と他のダウン症の子と見分けがつかないなんてことはついぞ経験したことなんて無いもの。整形で作り出す顔に対して「オレの子どもの時の顔に似ている」と涙を流す父親って、要は泣くほどイヤなの?って思ってしまうのはわたしがひねくれてるんだろうか。わたしはイヤだなあ、そこまで持って生まれた自分の顔を嫌がられるのは。
大きなお世話だとは思うけれど、「さっちゃんのまほうのて」でも読めばいいのに、とか思った。肯定ってことの大きさをさっちゃんのおとうさんが教えてくれるのに、とか思った。

さっちゃんの まほうのて

ずっと以前に娘の顔に関して小児科医に整形したらどうかという話を言われた。逆さまつげの治療として、鼻梁を整形にて作り上げたら改善するのではないかという話。大学病院に紹介状まで持たせられた。えーーーーーー、と、衝撃だった。医療上とはいえ顔を変えるのは考えられなかった。眼科医に相談したら「そんなの治療にならない」と一笑にふされて心底ほっとした。一笑にふされたことで心底ほっとしてしまって詳しい説明は忘れてしまった。ダウン症の特徴があろうが、娘の顔は娘の顔だと思う。たとえ一部分の変更であろうとも、娘の顔を失うことは考えられなかった。
それと。顔が似てるのってけっこういいものよ、とも思う。ダウン症の子どもを連れた親に会うと、どちらからともなく会釈するようなことはけっこうある。子どもが小さいときに、大きい子を連れた通りすがりの方に暖かい笑顔を向けられた経験のある人は多いと思う。本人に関しては、うちの娘はそこまで高度な自分の意見をお話しできる能力は無いのだけれど、利発な子の言うことを聞くとけっこう早いうちから「仲間」はわかるものらしい。「ママ、あそこにお友達の子がいるわ」と小学校の低学年で言われてなんと返答したものかという親の話を聞いたことも。
ただ娘に関しては、進路先の見学やら実習やらに連れて行ったときにそこにダウン症の方がいると、すっと近寄ったりはしますね。高二の時にレストランで実習をしたときに、厳しい指導の中で結局スムーズにいったのは、実際に働いているダウン症の女の子が非常によくしてくれたことはとても大きいと思う。
また、下記の書籍には「ダウン症と一目でわかる容貌は『パスポート』として機能する」と述べられています。とらえ方はいろいろだと思う。

ヨッチくん一家のイギリス旅行記